ボランティア経験談

■ 週末ワークキャンプ
 ○ フリーキッズヴィレッジ週末ワークキャンプ
 ○ 金澤農場週末ワークキャンプ

■ 国際ワークキャンプ(国内)
 ○ 金澤農場ワークキャンプ
 ○ 小杉農場ワークキャンプ
 ○ フリーキッズヴィレッジワークキャンプ

■ 国際ワークキャンプ(海外)
 ○ アジア・オセアニア
  ☆インド ☆韓国 ☆タイ ☆バヌアツ ☆バングラデシュ ☆マレーシア    
 ○ ヨーロッパ
  ☆ スイス ☆ベルギー ☆オーストリア ☆ドイツ ☆2ヶ国以上 

■ 長期ボランティア
  『アメリカ・マサチューセッツ州 North Plain Farmにて』
  『スリランカでの長期ボランティア活動』 .



■ 週末ワークキャンプ 

○ フリーキッズヴィレッジ週末ワークキャンプ

 『山の間伐のお手伝い』(2009.11.21〜23)

 フリーキッズヴィレッジで初めて行なわれたSCIの週末ワークキャンプに参加しました。SCIの参加者は4人。うちひとりは、東京の大学で日本語を学ぶフランス人留学生。我々の他に、杉並の本應寺の方もふたり手伝いに来ていました。

 主なワークは、間伐と薪割りです。間伐をする場所は、近所の方が所有する林で、フリーキッズヴィレッジが管理を任されてるかわりに、間伐した木を自由に使っていいことになっている所です。

 地元の森林組合の方、SCI、本應寺、フリーキッズヴィレッジそれぞれのメンバーが力を合わせて、作業を行ないました。
・森林組合の方がチェーンソーで伐採して2mや4mの長さに切り揃えた木を、道路の脇まで運び出す。
・運び出された木をトラックに積んで、近くの廃校になった中学校の跡地(現在はキャンプなどに利用している)に運ぶ。
・2mの方の木を、チェーンソーでさらに短く切る。
・短く切った木を斧で割って薪にする。
 という作業を手分けをして行ないました。できた薪は乾燥させて来年の冬の暖房用に、4mの木材は中学校の跡地にあずまやを作るのに使います。

 私たちは21日のお昼過ぎに現地に着いて、早速山に入り作業を始め、22日は丸一日、そして23日は午後2時半頃まで作業させていただき、フリーキッズヴィレッジを後にしました。

 景色はいいし、食事はとても美味しいし(2日目の夕食には鹿のステーキをいただきました)、夜は毎日近所の温泉に行ったし、星空はきれいだし、大満足の3日間でした。参加者のなかのひとりがフリーキッズヴィレッジを気に入ったようで滞在を1週間延ばした為に、帰りは3人だけでした。今回の週末ワークキャンプで、間伐という貴重なお仕事を手伝う事ができて、大変よかったです。

※ 週末ワークキャンプ開催にあたって、フリーキッズヴィレッジから案内が届いていました。

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○金澤農場週末ワークキャンプ

『金澤農場週末ワークキャンプ」(2009.07.18〜19)

皆さん、こんにちは!

7月18〜19日にあった週末キャンプでは、なななんと!7人の新メンバーを迎えての、総勢11名での参加となりました!!(ワー!パチパチ!)
来る8月の夏のワークキャンプでリーダーを務めるため、プレキャンプとしてリーダーをやってみたのですが、この大人数ということで、大人数ならではの新たな課題が見えてきつつも、総括としてはとてもいい週末キャンプになったと思います!

ワークの内容としてはまず、サーシャと陽子さんで植えた大豆畑に所せましと生えた草取りです。
常にしゃがんだまま、というきつい態勢にも関わらず、抜いても抜いても前に進まないほどびっしり生えた草たちに悪戦苦闘しながらも皆さんとても熱心に取り組んでおられました。

また、その夜にはサーシャというロシア人の長期ボランティアとお別れということで、プチ送別会を行いました。
陽子さんの提案で、Tシャツにみんなのサインを書き、それを送ろうとしましたが、さすがは画家の卵です。注文が多い多い!(笑)
結局サーシャの目の前で、サーシャの指示に従い、各々のサインを書く、という・・・
もはやサプライズでも何もなかったですが、とても喜んでくれていたので、よかったです。

サーシャと陽子さんはまるで親子のように相性がよく、陽子さんいわく彼はとても「生きる力」を持っているのだそうです。
確かに彼は、自分なりの方法を見つけて動き、また適度に休憩を挟むなどして、とても効率の良いやり方を知っているな、と、私自身彼から学ぶことも多かったです。

そしてみんなでおいし?いご飯を食べた後は、あらためて今日来た理由、所感などお話してもらいました。

陽子さんが常日頃おっしゃっているように、進み続ける環境バランスの崩れ、農業従事者の減少について、改めて考えさせられました。
とはいえ私たちが実際に暮らしている所と、陽子さんの家とは、環境も様式もあまりに違います。
でも、だからといって何もしないわけにはいきません。自分たちにもできることって何なのだろう…その答えは一人一人違って当然だと思いますし、
私自身も答えは出せていません。
このような考えるきっかけをつくるという意味でキャンプに参加すること自体が「できること」なのかもそれません。
どうせ自分には何もできないからと言ってすべてを投げ出さず、考える時間を持つことや、少しでも未知のことを知ろうとすることがとても意味のあることなんだなぁと思いました。

そして、この話し合いにおける私の無茶ぶりに真摯に答えてくださった参加者の皆様には、驚きと感謝の気持ちでいっぱいです!
さすがです!とても勉強になりました。

そして次の日は、なたね油の原料であるなたねをさやから皆で踏み踏みして取り出す!という作業(通称オイルダンス!)を行いました。
最初はバラバラに作業していましたが、最終的に皆でまとまって協力してやり、やり方一つでこうも効率や達成感が違うのだなぁと思いました。
皆さんとてもさわやかに「いい汗をかいた!」とおっしゃっていました。(´▽`)

そのあとひと段落するまで草取りをし、今回のキャンプは終わりました。

皆さんにこのキャンプの感想を伺ったところ、各々に発見があったようで、ポジティブな意見が飛び交い、とても嬉しくなりました。
是非是非、またいつでも参加してください!

今回リーダーを務めてみて、思ったのは、人の立場に立って考えることの難しさについてです。何度も来ている人はなんとなくキャンプの内容がわかっているものの、初めての人にとっては農場は未知の世界です。
どこになにがあるかもわからないし、何をしたらいいのかわからない、新規参入の方が久し振り過ぎたため、そのことをついつい忘れがちだったのですが、お互いのことを常に思いやって行動することは、簡単なようで本当に難しいことなんだな、と思いました。

参加者の皆様、ありがとうございました!次の参加、お待ちしておりますよ?!!(´▽`)

最後になりますが、金沢さんのブログでも今回のキャンプについて写真付きで説明されています。
ゼヒゼヒ、チェックしてみてください♪
 
あいがも農家体験記

 

『週末ワークキャンプ』 (2009.06.20〜21)

先日は週末ワークキャンプに参加させていただきありがとうございました。
日曜日の午前中に雨が降りましたが、それ以外は天候に恵まれて、有意義な時間を過ごすことができました。

現地では、陽子さんの田圃で草取り、鶏舎にて鶏糞とりなどをさせてもらいました。
やはりかなりの重労働で、今も体のあちこちが筋肉痛です。
陽子さんは、ボランティアがいないときはこれだけの作業を一人でこなすと聞き、頭が下がる思いがしました。

夕食で食べたお米、野菜は本当においしかったです。
お米は甘く、大根、キャベツは歯ごたえがあって臭みがなく、文字通り満喫しました。
お土産に卵と大根をいただき、家族、おすそ分けした友人たちが大変喜んでおりました。

僕としては、これだけおいしいものを作るまでにはどれだけ手間をかけなければならないか、その一端でも知ることができ、いい経験をさせていただいたと思っています。
また、陽子さん、LTVボランティアの二人、SCIの(若き!)スタッフと出会い、様々な話をできたのも楽しさの一つでした。

ここから先は、今回のワークキャンプについて、正直な意見を述べさせていただきます。

今回も、SCIのメンバーから、ボランティアが集まらない、定着しないという話を聞きました。
実際、今回一緒に参加した二人も、次は参加したくないと言っています。
その理由は、農作業自体よりも、それ以外にあるのではないかと思います。

ひとつの理由として、家の中が雑然として気が休まらなかったことが挙げられます。
陽子さんやLTVの生活に関することなので書くことがはばかられますが、
土間には新聞紙、本、作業着などがあちこちに置いてありました。
床は埃が積もっていました。
台所も整頓されておらず、台の上には「発酵」の材料のようなものが置いてあり、虫がたかっていました。
土間など掃除ができるところはさせてもらいましたが、もう少し家の中が整理、掃除されていてもいいのではないかと思いました。
勿論、陽子さんやLTVは一日中農作業で家のことまでは手が回らないと思います。
それならば、月に一度、ボランティアを使って朝食後の3時間ほどで掃除をすればかなり変わるのではないでしょうか。

一度参加しただけでこのようなことを書くのはおこがましいと思っています。
ただ、また友人を誘って参加するとしたら、農作業未経験の者が多いので、やはり農作業以外のところでの快適さというか、泊まるところの清潔さは大事だと思うのです。

とはいえ、貴重な体験をさせていただいた陽子さん、SCIスタッフの皆様に大変感謝しております。
ありがとうございました。

 

 

『金澤農場週末ワークキャンプ経験談』 (2009.01.10〜11)

私はもともと農業体験など、自然に触れる事が大好きなのでこの農業体験を楽しみにしていました。
実際行ってみると…想像以上でした。
「ジブリ」
それが最初の印象です。
木造の家に縄のかかった倉庫、薪のストーブに畳とこたつ。
外へ出れば広い空と鶏小屋、人懐っこい犬(ト゛リー)収穫された野菜が並んでいます。
どこを振り向いても絵になる風景ばかりで絵本の中に迷い込んだ感覚でした。

そこでの生活は一言で表せません。
作業は鶏糞掃除と鶏の餌・水やり、卵の収穫です。
どれも慣れない作業ではじめは効率が悪くすぐに疲れていたのですが、だんだんコツを掴んでいきあっという間に袋いっぱいにしていきました。
作業の間は常に鶏と接していました。日常では関わる事のない動物なのですが少しずつ鶏にも個性があるのだとわかってきました。
特に、いつの間にか「キング」と名づけられた雄鶏は責任感の強い雄鶏で一生懸命私たち侵入者から小屋を守っていました。
痛かったです。

この他にも痛いほど冷たい水や空気、真夜中に舞っていた初雪、遅くまで続いたストーブを囲んでの深い話はいつまでも忘れられません。
空気がとてもおいしくて、何もかもが、どこまでも広がっていました。

私はこのキャンプを通じて食べ物や社会に対する見方が変わりました。
今まで当たり前のように食べていた物や受け入れていた制度が実は考えられない程残酷な方法で成されている事を知りました。
東京に帰ってからもこの食べ物がどこからどんな風に加工されてここに行き着いたんだろうと考えるようになりました。
こういった事は昔では知っていて当たり前のであるのに、ほとんど知られていないという現代社会の状況に改めてぞっとしました。

金沢農場で食べた食べ物はどれも活き活きしていて、不思議なほど自分の体調も良くなりました。

金沢で食べた食べ物、話した会話、感じた空気、思った事を私はずっと忘れません。
人間の生活において一番大事な事を学んだと思います。

本当に貴重な体験をしました。
また是非行こうと思っています。金沢農場で浄化されたいと思います。

ありがとうございました。

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■ 国際ワークキャンプ(国内)

 ○金澤農場ワークキャンプ


『金澤農場ワークキャンプ(2007年8月)』 .

 農作業未経験の私にとって、最初は戸惑うことも多くありましたが、有機農業の良さを金澤農場で知ることができました。そして、ワークキャンプで体験できたことは、楽しかったことも辛かったことも含めて、今も鮮明に思い出として蘇ってきます。キャンプでは、楽しいことばかりではないかもしれません。もちろん参加者との衝突もあるでしょう。しかし、衝突があるからこそ、価値観の違いを改めて考えさせられ、そこから学ぶことも多いはずです。ぜひ参加の一歩を踏みこんでみてください。きっと、ほかの何にも代えることのできない貴重な体験をされることでしょう。

『金澤キャンプ参加報告書』(2008年)

私が今回のワークキャンプに参加したきっかけは、通っている大学に英衣さんが説明会に来てくれたことでした。

小さい時から国際的な活動に興味があった私は、すぐにこのキャンプに食いつきました。
最初は、友達と一緒に「行こう!」と張り切っていたのですが、結局SCI宛に書類を送ったのは私だけでした。だから、キャンプの日程表を受け取った時も、一人で大阪から栃木に向かうバスの間もものすごく不安でした。そして矢板駅に着いたときに、キャンプについて私が知っていたことは、日本人3人と外国人3人で2週間農家のお手伝いする、という漠然としたものでした。しかもそれは間違っていました。笑・・・・・・・・ 今思うと、よくやったな、自分!と思います。
 
金澤農場に到着して、サミーラ・パット・バンを見た第一印象は「うわ〜。foreignerや〜!」でした。正直、最初は何を言ってるのか全く分かりませんでした。笑・・・・・。でも、ごはんを一緒に食べたり、陽子さんのお手伝いをしたり、一緒に生活しているうちに、完璧にはわからなくても伝えようとしていることが理解できるようになっていきました。自分が伝えたいこともゆっくり簡単な単語をかき集めて、なんとか理解してもらえていたと思います。普段、外国人と接することも接したこともなかった私にとって、日常的に英語を使った2週間の生活は本当に貴重な経験になりました。
 また、早起きして鶏の卵を取ったり、畑から採ってきた野菜で料理をしたり、金澤農場で経験したすべてのことが私には非日常的なことで、とても魅力的でした。途中から参加した10歳年の離れた、でも精神年齢の若いヤンミーと山の上の神社から自転車で疾走したことや、アメリカ在住のバンの日本語が驚くべきスピードで上達したこと、最終日のキャンプファイヤーで普段はクールな陽子さんがはっちゃけていたことなど、忘れられない思い出がいっぱいできました。そしてワークショップでは、平和や環境や食についてみんなで話し合うことで、それぞれの考え方や価値観を知ることもできました。
金澤農場でみんなと過ごした2週間は、本当に素敵な時間でした。とても有意義な夏休みを過ごすことができました。勇気を出して参加してよかったと思います。ただひとつ心残りなことと言えば、天気があまり良くなかったことです。星がきれいだったんだろうなーと残念でなりません。なので、絶対またきれいな星を見に、陽子さんやドリーちゃんに会いに、チキン's smellを嗅ぎに、金澤農場に舞い戻りたいと思います。

そして、SCIでのこのワークキャンプを初めの一歩として、これから国際的な活動にどんどんチャレンジしていこうと思います。後々は、海外でのワークキャンプにも参加してみたいです。
ですので、皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします!

みんなに出会えてよかったーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!

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 ○ 小杉農場ワークキャンプ


『小杉農場ワークキャンプ(2007年8月)』

〈遊具作り〉
山に入りノコギリだけで、木を切りました。カンナやミノで木を整え、広場に子ども達が使う為の遊具の組み立て・取り付けを行いました。最後の3日間はキャンプ場の施設の修繕や補修を行いました。
  遊具の板の張り替えでは、狭いスペースの中、お互いで声を掛け合わなくても、距離を確認し、意思疎通ができていました。また海外の人達は経験したことない障子張挑戦して、日本の文化について語り合い一段と距離が縮まりました。

 

<オフ日・企画>
 「ビンゴ大会」は、皆でおおいに盛り上がりました。日本の文化などを知ってもらうため、史跡巡り・習字を行い、地域の盆踊りに参加しました。最終日の夜は、近所の人たちと森の中で打ち上げパーティーを行いました。ダンスや花火などをして最後の楽しい時間を過ごしました。キャンプ明けの次の日は、皆で「甲府大好き祭り」に行きました。夜は、カラオケに行き楽しく歌いました。その後は、小瀬に行き残っていた花火をしました。
  やはり国が違っても、面白いと感じる物は一緒でした。そしてお互いのことを気にしながら作業したり歩いたりしました。心と心が通じ合い皆で和となり最後は泣きました。

<キャンプを終え>
 このキャンプには、フランス・ロシア・セルビア・イタリア・ベルギー・韓国・マレーシア・日本から参加者が集まって、一つ屋根の下で2週間の生活を行いました。海外の現状や平和について話し合う時間もあり、教科書などには載っていない住民の体験談などが聞けました。やはり平和に対しての考え方はどこの国も同じであることを実感しました。英語スキルも上がったし、海外のかたがたも日本語スキルが上がったと言っていました。言葉が通じなくても、心と心で通じ合うことができました。日がたつにつれ心と心で通じ合うことが増え、一つになることができました。キャンプが終わってから、物に対しての扱い方が変わったし、いろいろなものの見方が変わりました。


『2007年度 小杉農場夏季キャンプ』

 私は、以前から国際協力や異文化交流に対して関心があり、また姉がSCIの会員であることからこのキャンプを紹介してもらい、参加することになりました。
 今回のキャンプは例年のものとは少し違い、小杉農場での子供の遊び場作り作業のほかに、新潟大地震の復興ボランティアにも行かせていただけることになり、どんな人に出会えるのだろう、どんな経験ができるのだろうという期待と希望で胸がいっぱいでした。
 そしていざキャンプに行ってみると、やはり色々な国籍の方がいて、最初の1週間は言語や文化、考え方などの違いに戸惑い、困惑する場面も多々ありましたが、共同生活をしていくうちに、それらの違いをお互いに受け入れ、認め合えるようになってきました。
 また、新潟大地震の復興作業では、思うようには活動ができず、「ボランティア」というものの難しさを改めて実感したものの、そこから得ることができた学びや経験は、これからの私の人生においてとても大きなものになると思います。
 たった2週間という短い期間ではありましたが、みんなで過ごす毎日は、驚きや発見の連続で、私は小杉農場やそこで出会ったたくさんの魅力的な人たちが大好きになりました。
 英語が話せなくても大丈夫!コミュニケーションはどうにでもなります。新しい世界を見てみたい!というあなたはぜひぜひ小杉農場へ!☆
 そして最後になりましたが、このような素晴らしい経験をさせていただいて本当にありがとうございました。

 

『ワークキャンプレポート』(小杉農場ワークキャンプ2008年)

 ワークキャンプの思いでは、どれも濃い過ぎます。みんなで、暑い中一生懸命作業したり、ご飯作ったり、自由時間に国を代表するゲームをしたり、ホリデーには富士山に登りました。
 楽しいことが、多かった反面、自分の力量の無さや、周りの人の事を考えず、とってしまった行動に対しては自分のしょうもなさを再実感できました。反省点を次に活かしたいと思います。
 みんなで、楽しい思い出を作るということは大事なことです。しかし、楽しいことより、苦しいことをするほうが、僕的には、記憶に残るし、コミュニケーションも取れると思います。そういった、コミュニケーションが国際平和に繋がる、SCIワークキャンプは素晴らしいと思えるところです。いくら、政治家が国際平和を実現しようと机の上で作業していても、それには、限度があります。それよりも、個々人の繋がりのほうが国際平和を実現する上では必要だとわかりました。今回、仲良くなっつた人みんなの国に旅行に行ってみたいと思うほど交流を深められました。
 次回、参加するキャンプでは、アメリカかイタリアかブラジルのワークキャンプに参加してみたいと思いました。ありがとうございました。


○フリーキッズヴィレッジワークキャンプ

『第1回フリーキッズビレッジワークキャンプ』(2009年)

今年は長野県高遠市にあるフリーキッズビレッジにてSCIとしては初めてのワークキャンプを開催しました。
海外からは6名(ポーランド2名、韓国2名、ドイツ・マレーシアから1名ずつ)、日本からは7名(全日程参加4名、部分参加3名)が参加しました。他にも現地スタッフ、本應寺(東京都杉並区)、ウーファー、そして多くの子供たちが滞在していたため、大変多様性に富んだキャンプとなりました。

キャンプでは主にフリーキッズの一大イベント「インターナショナル・エコキャンプ」、及びの母屋の清掃・屋根のペンキ塗り、農業のお手伝いなどを行いました。多くのメンバーは日常と違った環境に戸惑いつつもそれぞれの仕事に打ち込み、充実した時間を過ごすことが出来ました。

休みの日には近くの温泉に行ったり、母屋でメンバーがそれぞれの国のゲームを披露しあったりと思い思いの時間を過ごすことができ、ワークとは違った意味で互いを知る良い機会となりました。

筆者自身が驚いたのは、キッズキャンプに参加された子供たちの元気さでした。10日もの期間、電気・ガス・水道の無い生活をする中で全ての子供たちが大きな怪我をすることもなく元気に動き回る姿を見て凄いと感じました。

フリーキッズビレッジとSCIが初めて合同で行ったワークキャンプだったため、はじめはSCIがどう入っていけば良いのか不安な面もありましたが、フリーキッズビレッジの方々の温かいお気遣いがありスムーズにキャンプを終えることが出来ました。このような機会を与えてくださった孝子さんはじめフリーキッズの皆さん、及び参加してくださったすべての皆さん、本当にありがとうございました。

 

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 国際ワークキャンプ(海外)

 ○ アジア・オセアニア

  ☆ インド

『シャンティニケタンワークキャンプ』(2008)

ワークキャンプでの活動概要
@ 土木作業(レンガと泥での建築作業)
A 孤児院訪問
B 小学校訪問
C シャンティニケタン大学訪問
D 村人達の家訪問
E 観光

@ 作業は、雨季だったため外での作業が続けられず、2,3日くらいしか行わなかった。泥を運んだりレンガを重ねたり……と作業を行ったが、後に村の女性達が工芸品をつくる作業場建設の初段階作業だった。
A キャンプ地となっていた学校に程近い孤児院と歩いて1時間30分程の孤児院を訪問した
B 歩いて15分ほどの、ノンフォーマルの小学校訪問を行い、子供たちの歌やダンスを楽しんだ
C タゴールによって建てられ、アマルティアセンなどを輩出した小学校から大学まで全寮制のシャンティニケタン大学を訪問し、見学を行った
D 3・4人のグループに分かれて、それぞれ村の家庭でお昼ご飯をご馳走になり、村人達と交流した。言葉は通じなかったが、村の皆さんは常に笑顔で迎えてくださった
E 車で一時間半ほどのところへ向かい、ヒンドゥー教寺院訪問を行った

ワークキャンプでの雰囲気
・ キャンプ地
学校で寝泊りを行った。電気も水道もなく、懐中電灯が手放せなかった。シャワーもなかったので、学校のトイレの井戸がシャワールームとなっていた。夜は、あまりにも真っ暗で女子は1人で行動するのを怖かっていたが、その分ホタルや星がきれいだった。
・ 雰囲気
私たちが自国で普段当たり前に使っているものがなかった分、皆で助け合えた。例えば、歯磨き一つ取ってみても、井戸の水を利用するため、誰かが井戸のポンプを押して、その間に口をゆすいで交代する……といったように、自然と助け合う雰囲気ができていた。また、ヨーロッパのメンバー達は、毎日ご飯…という環境で、お米以外のものを食べたいということになり、各国の料理を作ってくれたが、自分たちの欲求を満たす一方で、みんなをとても楽しませてくれた
・ 体調
 インドの暑さ、疲れから体調を崩して一日中寝込むことになったメンバーも何人かいた

 

『Shantiniketan Gandhi Mission 2008.7.29-8.13』

 今回キャンプに参加するにあたって、私の目的は、インドで実際に生活することからその文化や生活や思想に触れることで理解を深めるということでした。

 そんな意気込みで参加したキャンプ初日、私はワークキャンプという慣れない環境に完全に戸惑い焦りを感じていました。

 ここであと二週間も暮らせるのだろうか。

 まず、当たり前ですが周りは皆違う瞳を持ち、皆が英語を話しています。英語がそんなに得意ではない私は、そこに大きな壁を感じずにはいられませんでした。
 そして次に、ここはどこかよく分からない程に田舎であって、そこの学校に寝泊まりするということです。
 蚊帳をかけて寝袋を引いたその小さなスペースが私のベッドであり、そして電気もガスも水道もないここでは、夜は懐中電灯で照らし、手を洗うのもトイレもお風呂も、使うのは井戸でした。
 真っ暗な闇の中で、懐中電灯の小さな明かりを頼りに井戸の水を引きながらその水をかぶって身体を洗った時は、一緒に参加した日本人の子と良い経験だねを合い言葉に笑うしかありませんでした。
 また、電車のチケットを予約するため、カメラや携帯の充電のために一番近い町まで行くのに炎天下の中二時間以上歩き続けた時は、滝のような汗と疲労感との戦いだったことを覚えています。

 慣れない環境の中、全てが試行錯誤の連続で、毎日が挑戦でした。
 それはインドの村での暮らしの現状を垣間見ると共に、日本で、全てが整備され簡単に手に入るという環境が本当に恵まれたことなんだということを改めて認識させました。

 また、ワーク中は本当に多くの現地の人々と触れ合うことが出来ました。
 孤児院や小学校や村の民家を訪問した際には、経営状況や教育の実態などのお話を伺うとともに食事をご馳走になったり子供達と一緒に駆け回って遊んだりと、言葉や文化や国を超えた深い交流をすることができました。
 ワークでは、学校近くの空き地に煉瓦を積んで工場用の建物を造ったり果物の樹を植えたりと、現地の施工の技術を見たりワーカーさんと触れ合うことができました。ここでは、未来の産業の芽を作ることが出来たと思っています。
 インドの人々はそれぞれの暮らしの中で、本当に毎日楽しそうに一生懸命生活していました。そして皆本当に暖かく、私たちを手厚く歓迎してくれました。私は、ただただ感動していました。

 また、キャンプを通じて嬉しかったことは、最初はコミュニケーションの壁にぶつかりあまり会話もできなかったキャンプ参加者達と、様々な共同作業や共同生活を通して、だんだんと仲良く慣れたということです。私の英語が上達したというよりも、言葉を超えたコミュニケーションができるんだという発見でした。言葉で言うのは簡単なことですが、これは本当に貴重な体験であったと思います。

 このように、多々過酷な状況はありましたが、このワークキャンプを通して私は貴重な経験から、インドの文化や生活や思想などの本当に貴重な理解を得、国際交流の重要性を学ぶことができました。
 今、この経験を私で止めることなく様々な人に話し国際交流を促進することで、インドだけでなく様々な国の実情の理解を広め、改善へと少しでも繋げられることが私の義務だと思っています。
 この貴重な体験が少しでも未来の子供達の役に立てるよう、私は私の役目をこれから全うしていきたいと思っています。

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 ☆韓国

『マリ学校ワークキャンプ』(2008年)

● キャンプ地 
ソウルの仁川空港からリムジンバスで新村まで行き、バスで終点の江華郡まで行った。そこでSCIスタッフに電話をしたら、車で迎えに来てくれた。500メートル程度の低山が連なる田園地帯で、山の麓にある学校(フリースクール?)がキャンプ地。学生達が夏季休暇で帰省中に利用。ド田舎というわけでもなく、まあ中途半端な田舎町という感じの場所。天気が晴れの日は緑が美しく、結構のどかで良い。ちなみにキャンプ終了後は、大半のキャンパーはソウル行きの貸し切りバスで帰った。
● 参加者
日本人男性 1(私)、トルコ人女性 1、フランス人女性 1、スウェーデン人女性 1、フィンランド人女性 1 、韓国人キャンパー(固定メンバー)25人位?(部分参加やOB、学校関係者やら何やら、小学生から中高年まで入り乱れ)。
トルコ人は事情により2日で居なくなった。ポッチャリ系のフランス人はワークは不得手だったが、陽気でフレンドリー。フィンランド人とスウェーデン人の美人二人組は、マイペースを保ちクールな感じで、それ程溶け込む努力はしていなかった。
人が多くて自己紹介タイムも無かった(私が開会式に間に合わなかった)為、名前を覚え込むのが困難でした。人の数が少なくて2週間位の期間があるワークキャンプならば、初日から必死で覚えるのだが、私も積極性を放棄してしまった。とりあえず、順次関わった人の名前を覚えて行った。
● ワークの内容
『マリ学校の敷地の草むしり』と『近所の教会の土地の手入れ(綿畑の雑草抜き等)』の二つが中心。キャンプ前半は日差しが強くて重労働だった。学校の草むしりは、手がかぶれる草が蔓延っていて、また虫も多い為、少々大変。逆に教会の方は楽であり、オヤツ等の差し入れがありしばしば教会でお昼ご飯も頂けた為、人気があった。基本的に、ワークキャンバーの為に提供された簡単ワークであり、炎天下で無理はせず、休憩もこまめに取っていた(リーダーが管理)。キャンプ期間を通じ、ワーク中に体の弱い女の子が一人疲労で倒れた位で、目立った怪我人や病人は発生しなかった。

報告事項
● レクリエーション
プログラムの一貫として組まれたその他の活動で、『キナコ餅』『団扇』『キュウリの漬物』『手作りハーブ石鹸』『Tシャツの玉ねぎ染め』などの製作体験がありました。当初は、各国の挨拶・礼儀作法・言語を学ぶというプログラムが3つほど組み込まれていましたが、中止に。また、韓国映画上映会も夜中に2回ありました。その他、巨大なパオの中で鬼ごっこのようなゲームを3種類やった時もありました(罰ゲームがあり盛り上がった)。
スペシャル・イベントとしては、キャンプ中間日に行ったピクニックがあります。ドルメンなどの史跡を見物し、海(ドロドロの干潟)で遊びました。後は、キャンプ最終日前のキャンプファイアー(飲み会&カラオケ大会)、その前日にも、韓国伝統スゴロク遊び(ユンノリ)の人間スゴロクや、各種ゲームで楽しみました。
キャンプ3日目のお昼には、突発的にOBの男性に誘われて、私を含めた外国人キャンパー3人が、お米の買出しついでに車で観光に出かけました。北朝鮮との国境線で記念撮影をし、市場を見学し、古い立派な城砦の門を見て、昆虫博物館を見学しました。
韓国人のキャンパー(特に男子)はみなゲームが大好きで、キャンプの合間に様々なゲームやスポーツをして楽しんでいました。私も、そのようなゲームに飛び入り参加する事で交流を深めました。
よくぞこんなに沢山遊びのレパートリーがあるものだと感心する位でした。

● OBの存在
SCI韓国のキャンプでは、沢山のOBが加わり、精力的にバックアップしていたのが目立ちました。草刈りなどの作業でも、大変な部分はOB陣が担って処理していました(OBだけで早朝ワークをしたり、草刈機を用いたり)。食料の調達やお菓子などの差し入れもしていました。
私もかなりお世話になったのですが、英語で言えば『PUSSY』というか、押しが強く灰汁が強い人もいました。上下関係が強めの韓国らしいと言えば韓国らしいです。
仕事から離れて気楽にキャンプに来ているのに、職場の偉い上司みたいな感じの中年OB(実際に会社の重役クラスでしょう)に、過保護に一緒に行動されたり呼ばれたりする時があり、向こうの気配りが逆に気疲れすると言うか、本心では「Leave me alone!!!」と言いたい位、関わりに疲れる時もありました。
キャンプファイアーの夜に、私が真夜中に眠っていて妙な気配でハッ!と起きたら、酔っ払った中年OBにマジックペンで顔に悪戯書きをされている最中でした(そういう伝統らしい)。蚊を退治しようと殺虫剤を大量にシューシュー撒き散らしている輩もいて、あまり笑えませんでした。

● リーダー陣
大学生や20代の若者が中心です。統括リーダーが1人、他に15人位はリーダーが居て、ほぼ毎晩しっかりとリーダー会議をしているのには感心しました。

● キャンプ新聞
『DAILY ISWC』と言うミニ新聞を、PCを用いて毎日編集・発行していました。その日の起こった出来事を纏めて写真付きで記事を書き、翌朝の朝食の時、みんなが食事を貰いに集まるキッチンの外壁に掲示していました。

報告事項
● 食事
キッチンチーム(固定&日替わり)が居て料理を作る。料理はボックンバ(チャーハン)やキムチ、食パンなど、まあ、ありきたりの韓国の食事を、金属性のランチプレートや皿に盛る。キムチは大抵いつでも付く。韓国人はみんなで一緒に食べるので、一人で食べる事はまずない。食後はカイガイボ(じゃんけん)をし、負けた人が全員分の食器洗いをするのが常。

● その他アメニティ
清潔で新鮮な水は、ウォータータンク&クーラーがありいつでも飲めたが、大人数の為かタンクがすぐに空になった。
トイレがキャンパーの大人数に比例したらやや少なかった。室内トイレはシャワールームと一体なので、空かなくて困る時もあった。
室外に天幕が張ってあって、水道からホースを伸ばしてシャワーを作っていた(利用するのは男子)。
蚊は沢山いて、夜中は蚊取り線香を使っていたが防ぎきれないので、虫除け剤を塗って寝た。
寝場所は、建物内で雑魚寝や外に張ったテントやら、みんなバラバラでした。女子専用の寝所区域は当然ありました。
共用洗濯機が二つあって汚れ物を洗濯していたが、紛れたのか盗まれたのか、衣類が紛失した。

● 余談
キャンプ中に毎朝早起きして健康体操をしたり、ワークを精力的にこなし、また、ダンスを踊ったりしてみんなを楽しませた事が評価されたのか、ベストキャンパー賞を頂きました。
 キャンプ後には、仁川にあるOBの男性のご自宅で一泊ホームステイしました。
 日本に帰ってから体調を崩し、酷い夏風邪が2週間も長引いてしまいました・・・

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 ☆ タイ

『Dalaa主催・国際キャンプについて』

私は2008年10月5日から18日まで、Dalaa主催の国際ワークキャンプに参加するため、タイへ渡航しました。そのとき体験したこと、またキャンプの内容について報告したいと思います。

ワークキャンプ地は、タイ・バンコクから鉄道で南に下り、ハジャイという大きな都市から車で1時間ほどのパッタルン県の小さな村でした。

ハジャイまで、タイの国有鉄道の寝台列車で移動します。
綺麗に清掃された快適な列車の寝台で、私は一人のタイ女性と出会いました。ハジャイで英語教師をしているという彼女から、タイについて沢山お話を聞かせてもらいました。人懐こい、というタイ人の性格を表わすように、彼女も親切にタイ語やタイの文化を教えてくれました。
多くのガイドブックに「親切なタイ人に気をつけること(睡眠薬強盗や詐欺の警告)」とありましたが、きちんと分別と敬意を持って接することで、現地の人と深く交流できることを実感しました

Dalaaのメンバーにハジャイの駅で迎えいれられ、パッタルン県へ車で移動しました。ボランティアメンバーに、タイ人はもちろんのこと、各国から人々が集まってました。
イタリア・ギリシャ・ドイツ・日本、みんな個性ぞろいでユーモアな人ばかりで、堪能でない私の英語でも冗談を言い合える関係でした。

私達のボランティアワークは、数十人足らずの小さな村にある幼稚園を改装することでした。
今まで使っていた子どもたちの用具を片付け、埃まみれの天井の飾りを一つ一つ取り除き、垢や格子の錆を落とすこと。そして幼稚園を長く使えるように、壁から格子までペイントすることでした。
内側を全て明るい桃色にペイントしたあと、私達は子どもたちにとって役立つ絵を描いていくことにしました。
世界地図、国旗、そして大陸ごとのイメージが6つの壁に描かれました。アジア・オセアニア・アフリカ・ヨーロッパ・アメリカ・南極と北極。何を描くかの話し合いや下絵で進み具合に差が出ましたが、フォローしあうことで無事仕上げることができました。
そんな私たちの活動を一番支えてくれたのは、他でもない幼稚園の教師たちでした。毎日のランチメニューに工夫を凝らしてくれ、辛いものに慣れない外国人のために辛さを調整するなど配慮を感じました。清掃・改装作業の途中で、彼女たちに話しかけるメンバーの多かったこと!私たちは知らず知らず、彼女たちの活力や底抜けの明るさ・豪快さを拠り所にしていたかもしれません。それほどタイ人の女性はパワフルで優しく頼もしく感じられました。

2週間の活動のなかで、私達はただ幼稚園の改装のみをしたわけではありません。作業の合間の息抜きとして滝で泳いだり、地元の結婚式にご飯をお呼ばれしました。
また、週末にハジャイのナイトマーケットで思い思いに行動しました。イスラム教徒の多いハジャイの夜は活気があり、バンコクの夜とは違った趣があります。地元の人たちしか知らないマーケットで見るタイの姿に、ガイドブックにはない面白さと興奮を覚えました。
みんなと行動して一番楽しかった場所は、ソンクラービーチです。ハジャイから1時間ほどに位置する美しい海辺でした。多くのDalaaメンバーや代表者のマリアも集まり、日が落ちるまでバレーボールやサッカーボールで遊びました。高校生以来の経験でしたが、みんなが笑っていると楽しくて、こんなに夢中になったことは初めてでした。

キャンプは順調に進みましたが、当然、みんなで問題を議論する場面もありました。それは、キャンプ途中参加者の参加費有無と、キャンプ参加費の用途明細についてです。個々が「ボランティア」についてのスタンスを持ちながら、費用について重々納得していなかったことが原因だと思えます。議論に結果はありませんでしたが、個々が支払いに納得できないならば、その時点で組織に質問することが大切なのではないかと思いました。感じた問題を後回しにするのではなく、早めに問題の芽を摘み取ることが必要です。

キャンプの二週間、私は充実した毎日を送りました。気さくな仲間たちと互いの文化を教えあい、ときに戦争や経済について熱く語り合いました。
ある女の子は私に深刻な家庭の事情を相談しました。他にも色んな悩みや考えを聞く機会がありました。私が海外の人と話せば話すほど、言語や地域の差はそれほど大したものでなく、同じ人間という点で理解しあえないことはないと思えました。
今後、私はどのような形で世界とそして様々な国籍の人と関わっていくか定かでありません。しかし、常に分別と敬意、そして笑顔でいることが何よりも大切なコミュニケーションになると確信しています。

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 ☆ バヌアツ 

『バヌアツワークキャンプ報告(2007)』

私は今回のワークキャンプでは、エパオ村の子ども達の強さやたくましさに深く感動した。小学生やそれに満たない子ども達が、農作業の手伝いを朝から晩までしていた。それでも子どもは文句一つ言わない。ふと自分の子ども時代と比べてしまった。私は確かに、スポーツが大好きであり、外で遊ぶことが多く、家でじっとしていることは少なかった。しかし子どもの頃は、自分の遊びに夢中で家の手伝いなどほとんどしなかった。こんな私とは対照的なエパオの子どもを見ていて、なんだか自分が情けなく思えてきた。
また、子どもたちは本当にいろいろなことを教えてくれた。食事当番の時、私がうまく火をおこすことができないでいると、率先して手伝ってくれた。さらにご飯を炊く時、水の量を目分量で調整することができないでいる私に、優しく教えてくれた。日本では、ガスでコンロを使うことができ、電子レンジや炊飯器を使って調理することができる。何をするのにもボタン一つで完了である。しかしエパオではそのような物はないため、そこの土地にあるものを使って、物事をこなすしかない。そのような環境で生活しているためか、小さい子どもでさえも生活の知恵はかなりある。
このように子ども達から多くの生活の知恵を学んだわけであるが、それ以上に「生きる強さ」を痛感させられた。便利な環境で育った日本の子どもであれば、このような所で生活していくことは考えられないだろう。子ども達は、日本人などの旅行者を見ているため、自分達は貧しいということは薄々気が付いているだろう。しかし、決して自分達を卑下することはなく、どんな時も笑顔でいることを忘れない。彼らはいくつか日本の歌を知っていて、私たちがそれを歌うと一緒になって歌ってくる。また聞いたことがない歌に関しても一生懸命に覚えようとしてくれた。このような子ども達の元気の良さは、私にパワーをくれた。
私は過去に数回ワークキャンプに参加した経験があるのだが、毎回笑顔の絶えない途上国の子ども達によって勇気や希望をもらうと同時に、自分の価値観が変わっていくことに気が付く。便利でモノにあふれていることが良いとは限らない。人間が生きていくのに、環境や置かれた境遇など関係ない。その人がどのような生き方をするのかが問題だ。人生にはお金では買えない素晴らしいものがある。それは人と人との絆である。今回のワークキャンプにおいて、キャンパー同士の絆やエパオの人々との繋がりができた。ワークキャンプ終了と同時に、全員離れ離れになってしまうけれども、一緒に過ごした二週間は決して忘れることはないと思う。

『バヌアツワークキャンプ報告(2007)』

 私は以前から、発展途上国での海外ボランティアに興味を持っていた。去年、友人がバヌアツでのワークキャンプに参加したこともあり、その話を聞き今回応募するに至った。
 去年の話を聞いていたとおり電気もガスもなく、コンクリートの上で寝袋生活といった私にとって初めてのことばかりで、この生活を2週間も続けていけるのか不安であった。しかし、3日も経てばその生活が快適になり、居心地よく感じた。キャンプ参加者ともすぐに打ち解けたが、英語中心の生活ということもあって皆での話し合いや討論では自分の意思をうまく伝えることができず、その度に自分の英語力の低さを感じた。
 ワークは学校建設ということだったが私達が行く少し前に完成してしまったらしく、先生のドミトリーを作ろうということでビーチにブロック造り用の砂を集めに行った。子供たちは小さい体で私たちより力持ちで、とても働き者だった。この作業を2日行い、次は集めた砂を網で濾して珊瑚やごみを取り除いた。また別の日には、ドミトリーを建てる予定の土地をひたすら草抜き、ガーデンの手伝いなどを行った。
しかし、ワークがあったのはエパオに着いて最初の1週間ほどであった。後々に、様々な問題が持ち上がってきたのだ。ここの村には、アメリカのピースボートやホームステイ目的で訪れる人々が多く、村人たちが私たちをワーク目的ではなくお客様がきたといった感覚でみていたのだ。その為、ワークもあまり無く、期待もされていなかったようだ。キャンプ参加者は、それぞれに年齢、職業、目的も異なり、この先どうするかといった討論が何度も行われた。私はワークで貢献し、何か形として残したいという思いもあったが、村人との交流や異文化体験も目的のひとつであったので現地生活をそれなりに楽しんでいた。毎日子供たちと遊び、ラップラップ作りやココナッツ削りを体験したり、村の中を歩き回ったりと毎日が驚きと発見の連続であった。
エパオの生活で1番心に残っているのは、村人の歌声だ。ここはキリスト教で、毎日のように教会から人々の歌声が聞こえてきた。日曜日は人々が教会に集まる日であり、女性はアイランドドレスを着て、男性も子供たちも皆きれいに着飾ってやってくる。そこでは何曲もの歌をうたい、時には振り付けまである。村人の隣に座ると、初対面の私にも肩を組んできた。そして一緒にリズムにのりながら歌を口ずさんだ。ここでは皆が友達であるような感覚になった。夜には子供たちが歌をうたいに来てくれた。小学校の発表会みたいにとても可愛らしく、そのうちの1曲を輪になり皆で歌った。キャンプが終わっても人々の歌声が忘れられず、ステイ先でも気がつくとその歌を口ずさんでいた。
バヌアツは「世界で一番幸せな国」といわれている。本当に自然も人々も素敵な国であった。ゆったりとした時間が流れ、人々ものびのびと暮らし、食べ物にも不自由せず、私たち観光客に目を向けなければ今の生活で人々は本当に幸せなのではないかと感じた。また何年後かにバヌアツを訪れ、エパオの成長した子供たちに会いに行きたい。

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☆ バングラデシュ

『黄金の国の生活』(2009年)

 3月12日から19日まで、バングラデシュ ランガマティのミズホラのワークキャンプを無事に終えました。
 
 キャンプの作業は、@セメントの粉、レンガのブロックを運ぶA小学校の校舎の基礎をコンクリートで補強するB校舎に天井を取り付ける、作業をした。私はキャンプ参加に5日ほど遅れてしまい、@の作業は1日だけ参加ができた。

作業の状況は、私を含め海外の参加者は3名いたが、バングラデシュのメンバーが中心となって作業をした。時折、現地の子供たちが作業を手伝った。子供たちが積極的に話しかけてきたので、ベンガル語を使ういい機会だった。

食事は、朝食は市場ですませ、昼飯と夕飯は民家ですませた。メニューは、朝食はルティー(ナン)、野菜のカレー。昼飯と夕飯はご飯、豆のカレーが必ずあり、野菜、肉、魚のカレーのどちらか一つがでた。ルティーとカレーのトッピングは歯ごたえがあり、野菜のうまみがありましたが、唐辛子が少し辛かったです。昼飯と夕飯のご飯は、箸でつかみにくいほどパサパサしていましたが、カレーと一緒に食べれば美味しい。豆のカレーは日本の味噌汁のようなもので一日に必ず食べます。味は、豆の味よりも、スパイスの味が強く、食べやすい。野菜カレーは、さっぱりとして、ルーがあまりなく野菜炒めのカレー味といったところ。肉のカレーは、お肉のコクがあり、日本のカレーに一番近い。魚のカレーは、魚がカレーと合っていて美味しい。しかし、魚の臭みがあるので、なれていない人にはあまり美味しくないと思う。

作業後の自由時間は全員で市場に行き、生活用品の買い物をして、紅茶を飲んで休憩をした。市場にいるときも、現地の人が気軽に話しかけたので、ベンガル語をマシンガンみたいに話しまくりました。

キャンプの近くにある大学でお祭りが開かれていたので、メンバー全員で参加して、外国人の私と他の2名はステージに座ってお祭りを見ることができた。私は、ベンガル語の歌を歌うことができるので、ベンガル語の歌2曲と日本語の歌1曲歌いました。歌っている最中は、観客が拍手と肩でリズムを取ってくれたので、ライブハウスのような雰囲気で、気持ちが良かったです。

 今回のキャンプは、去年のキャンプ参加とは違い、カルチャーショックで落ち込まず、英語や多少のベンガル語でコミュニケーションをとることができ、キャンプを円滑に進められた。それからの課題は、バングラデシュの問題に対して、自ら問題解決の鍵を与えられる行動をとる。例えば、親がいない物乞いの子供たちの生活を、親がいる子供たちと同じにする。学校がない地域に仕事をつくる。できる限り、やってみます。すばらしい体験の機会を、ありがとうございました。

 

『小学校修復作業』(2009年)

 2週間の予定だったランガバリでの小学校修復作業ですが、現地の子供たちのおかげで、予定よりも早く終えることが出来ました。
日中30℃を越える暑さで、ハードな作業。
バングラ人、フィンランド人、日本人、母国語はみんな違うのに、英語だったらみんなで話が出来る事を不思議で嬉しいなと思いました。 宗教の濃さも実感・・
言葉も、宗教も異なる人種が同じ目的で働くことによって、こんなに近くに感じることが出来るんだなと感動・・
生き方も考え方も違うメンバーが毎日同じ食事をし、信じられないくらいオープンな井戸でお風呂を済ませ、協力し合わなければいられない環境の中、私はメンバーに毎日助けられていたように思います。
最初は他の人と同じように外国人である私たちを珍しそうに見ているだけだったバングラメンバーでした。
現地の人も日が経つにつれ積極的に私たちを知ろうとしてくれたし、バングラメンバーも常に近くに居てくれてすごく頼りになりました。
私は「言葉よりも行動による・・」というSCIの考え方が大好きになりました。この言葉は本当に体験を通して実感するものだなと思います。一生懸命な姿は誰かが見てるし、サボろうと思えばいつだって出来るけど、それじゃ自分が嫌だなと・・私は歌をうたうためにバングラに来たわけじゃないし、子供と遊ぶためでもない。目の前にある作業に打ち込まなければならない。暑いとか、汚れるとか言えない。バングラメンバーが頑張っている姿を見たら。
自分に出来ること、それはとても小さなことではあるけれど、行動によってこの気持ちが伝わっていればと思います。

 バングラで過ごした3週間、毎日が私にとっては衝撃的で刺激的だったと思います。バングラの激しい格差とはこのことだったのかと実感しました。
道を歩けばお金をたかられるのが日常で、小さな子供がパンツ一枚でゴミをあさる姿。
きれいな服を着ている事が申し訳ないような・・・TVや本で知っていたはずなのに実際に目で見ると、あまりの驚きで何もできない自分がいました。お金を渡すことが本当に良い事なのか、食べ物をあげることが本当に良い事なのか、分かりませんでした。それはいまだに分かりません。
私自身、気持ちの余裕もなかったのだと思います。
この子だけにあげるとかあげないとか、そんなことを私は決めることができなかったんです。 
豊かな人、そうでない人、見ればすぐ分かります。豊かな人は太っているし、着ているものがきれい。
足のない人が手で歩きながら乞う姿、子供が障害者をカートに乗せてそれを押しながら乞う姿はショックでした。
だけどこの国ではこれが現実で当たり前の光景なんだなと思うと、さらに遣る瀬無い気持ちになりました。
ベンガル語が分からない私に向かって手を出し、分からないふりをすると私に触って自分のおなかを指差し、お金や物を乞うんです。小さな子供からお年寄りまで。
町はゴミだらけ、水は茶色い井戸水。
言葉も通じない国で、誰を信じて、誰を疑えばいいのか・・難しいなと思いました。
日本から飛行機でブーンとひとっ飛びで来てしまったバングラは日本にいては想像もつかない国でした。
同じアジアなのにどうしてこんなに違うんだろうと・・   
日本はきれいで物が溢れる国ですが、それを豊かと言えるんだろうか?何も持たなくても生きている人はたくさんいる。生きる最小限のものとは何か?何が幸せなんだろう・・とも。
私は自分の幸せを確認するためにバングラデシュに行ったわけではありません。それでも、日本は良いところだなと思います。生きやすい生きにくいは別として。
  

 バングラメンバーのAjazが言っていました。「この国には日本人のあなたには理解しがたい問題がたくさんある。だけど人を助けるのにはたくさんのお金よりも、大切なのはエナジーだと信じてる。」
この言葉がとても印象的でした。
バングラメンバーの大学生のひとり、Anwarに私が「どうしてこのボランティアに参加したの?」と尋ねたところ彼は「僕は豊かなわけではない。持っているのはエナジーと野心だけ。この国が好きだから、少しでも良い方向に進めばいいと願う」と話してくれました。
 
私がたった3週間で見たバングラはほんの一部でしかないと思います。
思ったこと、感じたことを一人吐き出してしまいました。長々とすみません。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

『サイクロン被災地緊急救援キャンプ(2008年1月1日〜14日)』

◎ はじめに

 2007年11月にバングラデシュ南部を巨大サイクロン”SIDR(シドル)”が襲いました。被害区域は広範囲に及び、全国64県のうち3分の1以上にあたる25県が被害を受けました。被害の大きかった地域の中のランガバリとボルグナの2ヶ所で行なわれた『緊急救援ワークキャンプ』に参加しました。
 参加者は15名(バングラデシュ8名、イギリス、フランス各1名、ドイツ2名、日本3名)。

 年末の30日にSCIバングラデシュ本部のあるマイメンシンでオリエンテーションを行なったあと、翌日の31日に、みんなで一緒にマイメンシンを出発。チャーターした車で首都ダッカへ行き、ダッカから船で川を下って、翌1月1日にランガバリに着きました。船上で年を越し、初日の出も船から見ていたわけです。8日にランガバリからボルグナに移動。14日にボルグナを出発して船で川を上り、15日にマイメンシンに着いて、解散となりました。

◎ ランガバリ(1月2日〜7日)

 ランガバリでは、現地の様子について事前によく把握してなく、ワークの内容も決まっていませんでした。1日かけて状況調査の為にふた班に分かれて村の中を回り、夜のミーティングで、どんなワークをするかについて話し合いました。
 その結果、
「サイクロンの被害は大きく、家を失った家族が多い。その中に体に障害を持った少女のいる家族があることがわかった。父親の職業は漁師だが、サイクロンで仕事道具を失ってしまい仕事ができなくなった。障害を持つ者が生活するのはただでさえ大変なのに、家を失ってしまうとその苦しみは大きい。我々は予算も時間も限られていて全ての人の家を建てることは不可能だが、明日からこの家族の為に家を造り、その様子を周辺の住民に見てもらうことで、みんなに復興への希望を持ってもらいたい。」
ということになり、その家族の為に家を建てることになりました。地元の建築家に仕事を依頼し、我々は彼らと一緒に建築作業をしました。建築現場では、子供を含め多くの村人が周囲を取り囲み、作業の様子を見ていました。

 また、別の集落での状況調査の結果、家が75件ある集落で、75件の家全てが破壊されていたことや、その集落にはまともなトイレがひとつもないことがわかり、その集落に25個のトイレを作ることになりました。トイレ用の穴は地元の方々との共同作業で掘りました。
 

◎ ボルグナ(1月9日〜13日)

 その次に行ったボルグナは、事前にSCIにメンバーが現地を訪れ、現地のNGOと打ち合わせをして、ワークとしてトイレ作りをすることが決まっていました。が、そこのNGOに準備しておいてもらうはずのトイレの材料(コンクリート製)をまだ作っている途中でした。その為、その材料作りを手伝うことからワークが始まりました。

 同時に、リーダーら数名は状況調査の為に出掛けました。近くの村に(この国ではマイノリティである)ヒンドゥー教徒の集落があり、そこではきちんとしたトイレや井戸がないため、そこにトイレとポンプ式の井戸を作ることになしました。
 翌日からのワークで、トイレ用の穴は地元の方々と一緒に掘りましたが、井戸掘りに関しては、専門の業者に作業を依頼しました。空気圧を使って約15mの深さまで掘削するのですが、専門的な技術を要する作業の為、我々はほとんど見ているだけで、ほんのちょっと手伝いました。
 最後、トイレの材料がのコンクリートがやっと乾いてきたので、「とりあえずひとつでもいいからトイレを完成させよう」ということで、比較的よく乾いた材料を選び、近い家に運んで設置しました。やっと、ひとつだけトイレを完成させられたわけです。

◎感想

 2週間のワークキャンプで離れた2ヶ所に行ったこともあり、移動や調査の為に時間が取られてしまったり、事前に地元のNGOに依頼していた準備が充分できていなかったりで、実際にワークできる日数が少なく(各4日ずつ程度)、仕事が中途半端になってしまった感は否めません。それが残念です。

 たくさんの家屋が倒壊するなどの大きな被害の出た地域で、少人数で限られた時間で限られた予算でより多くの人々の役に立つ支援活動をすることは難しいことです。ワークの中心であったトイレ作りが、この地域の衛生環境の改善に役立つことを希望します。

 ランガバリで家の建設作業をしていた日に、1度そこの家族に昼食をご馳走になりました。我々の食事の為に飼っていた鶏を1匹つぶしてくれて、おいしいチキンカレーを作ってくれたのです。あまり現金収入のない家庭で、売ればいい収入になる鶏を提供してくれた、その心遣いにとても感謝しました。

 バングラデシュの方々は、子供も大人もとてもフレンドリーな人が多いです。外を歩いているとしょっちゅう声を掛けられ、立ち止まって話をしていると周りに人垣ができ次から次へと話しかけられることは日常茶飯事でした。茶店に誘われてお茶をおごってもらうこともよくありました。いままでいろんな国に行きましたが、あんなにもフレンドリーな国は初めてでした。

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☆ マレーシア

■『冬期ワークキャンプ(2008)』

 私は、2008年11月21日から12月4日まで、マレーシアのワークキャンプに参加しました。2週間のワークキャンプは、1週間はペラ州の田舎の学校で、もう一週間は首都クアラルンプールの孤児院で行われました。

 主なボランティアワークの内容としては、ペラ州では学校周辺の湖の清掃、学校校内の池の周囲を塗装するなど、クアラルンプールでは孤児院の庭の清掃などでした。

 学校でのワークキャンプでは、ちょうど冬休み中の子供たちも含め学校の先生も参加していました。湖の清掃や学校の池にみんなの手形をペイントする、校内に描かれている国旗の塗装などの主なワークの他に、近くの滝に泳ぎに行ったり、地元の市場を散歩したり、マレー民族伝統の結婚式にお呼ばれしたりと、ワーク以外の時間もとても充実して過ごすことが出来ました。子供たちと一緒の部屋で寝、共に起き、毎晩ゲームや歌などで交流を図った日々はとても刺激的でした。時にはワークキャンプや平和についてのディスカッションが行われたり、各国のボランティアたち(ベルギー2人、アメリカ1人、コソボ1人、私)が自国のプレゼンテーションを子供たちに発表する機会もありました。子供たちと寝食を共にしたことで、ボランティア自身、外国人にはじめて会う好奇心いっぱいの子供たちに浴びせられる質問に答えつつも現地の習慣や文化に深く触れることができたと思います。マレーシアの炎天下でのワークはハードでしたが、印象深かったのは「ワークの内容が重要なのではない、共同作業するなかで、お互い仲良くなることが一番大切なんだ」というキャンプリーダーの一言でした。現に、マレー系マレーシア人の学校でのワークキャンプに中国系マレーシア人の子供たちも参加したことで、「初めて中国系の友達ができた。」という子供がいたことも印象的でした。一方孤児院のワークキャンプでは、院内の庭の清掃というワーク以外に、SCIと孤児院、地元の青年団体との共同で課外キャンプが開催されました。クアラルンプール近郊のキャンプ場へ子供たちと1泊し、ジャングルトレッキング、川での水遊びなど、子供たちと思いっきりマレーシアの自然を堪能することができました。また、孤児院がインド系マレーシア人の孤児院であったこと、中国系マレーシア人のボランティアもいた事でワークキャンプを通してマレーシアの3つの民族の文化、宗教に触れられたことは私自身にとっても大変興味深い体験でした。

 今回のワークキャンプは二箇所において開催されたということもあってその分出会いも二倍あり、またマレーシアの都市と田舎の両面を見ることが出来、とても楽しむことができました。子供たちとの時間が大部分を占めていたキャンプでは日本について紹介する機会が多くあり、日本のドラマ、歌手やアニメを知っている子供たちは日本人ボランティアである私にとても興味を持ってくれました。どこへいくにも「お姉さんお姉さん」と手を引っ張っていた子供たちとの別れが辛かった事は言うまでもありません。地元ボランティアやSCIメンバーに関しては、キャンプ中色々な場所に連れて行ってくれたり、キャンプ後家に招いてくれたりと皆親切で活発なメンバーが多く、彼らからも多くを学びました。

 日本に帰った今でも、現地ボランティアや子供たちからのe-mailが絶えません。私は、平和とは互いの違いを認め合うことが第一歩だと思っています。今回のワークキャンプを通して、ワークキャンプがお互いの国の文化や習慣の違いを知り、受け入れるというまさに平和づくりの第一歩を担っているということを改めて感じました。今回出会った子供たちも、私たち海外ボランティアとの交流を通してその意味を実感したのではないかと確信しています。改めて、この機会をくれたSCIに感謝します!!

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○ ヨーロッパ

  ☆スイス

『スイスでの3つのワークキャンプ』(2008年)

私は3つのワークキャンプに参加しました。
まずスイスのSCIの全体的な感想としては、毎年SCIボランティアを受け入れているところが多かったためか、あまり大きな問題は起こりませんでした。
ボランティアの人達も本当にヨーロッパ各国から来た人達だったので国際色豊かなボランティア活動だったと思います。
また、スイスのSCIに参加すると、sleeping listというホームステイの受け入れがOKなSCI会員の連絡先がもらえます。各ワークキャンプの間に1週間〜10日間の間があったので、
事前に連絡していたところにホームステイさせていただきました。
これは次のワークキャンプを待つ人だけでなく、もう少し長くスイスに滞在して観光したい人でももらえます。普通に1週間スイスのユースに泊まってもかなり費用がかさむと思いますし、スイスの家庭の雰囲気を知るのにとてもよかったと思います。
私は2軒、どちらも年配の方の所へ泊まらせていただいていたのですが、とても親切にしていただき、本当に良い思い出ができました。
また、他のSCIではどうなのかわかりませんが、一日2スイスフランが1人につきもらえたので、それを使って休日に街にでかけたりしやすかったのもよかったです。何せスイスの物価はやはり高かったので・・・。
ちょうど夏休みの時期ということもあり、多くの学生が参加していたのですが、やはりヨーロッパの人が多かったので、たくさんの人が日本の文化などについて興味を持ってくれ、
それに答える私も、良い意味で日本人の代表としての責任を感じました。
このように多く国際交流も行えて、有意義な時間を過ごせました。
以下は各ワークキャンプの報告書です。

CH-6.1 Jardins de Cocagne, Drize (Geneva)
29/06 - 14/07/2008
8 volunteers
参加者はチェコ共和国、スペイン、ロシア、ポーランド、日本とスイスのコーディネーターでした。
Jardin de Cocagneという有機農場で、主に農作業全般を手伝っていました。毎年SCIボランティアを受け入れているようです。
各ボランティアがテントを持参し、畑の近くで生活しました。
農作業自体は夏だったこともあり、かなりハードだったのですが、その分休みを多くもらっていたように思います。
週のうち2日間は8時間働いて、3日間は午前中だけ、土日は休みでした。
受入先の担当の方からは、Jardin de Cocagneのシステムについて詳しく教えていただき、とても興味深く、他のメンバーたちと一緒に農場を回りながら聞いてました。
ここでは前払いで野菜の代金を払い、毎週1回、1週間分の野菜を取りに来るというものです。この農場では、収入の少ない人は年に数十回農家に手伝いに来る代わりに代金の割引をしたり、毎週2〜3回来て働くことで、野菜を無料でもらえるそうです。その他収入によって野菜の値段に差をつけるなど、どのような家庭状況の人でも有機野菜が手に入るような工夫がなされていました。
実際にボランティアしている時も、スクオッター(無断居住者)の人に会ったり、元囚人の人や、ホームレスも労働者として受け入れているようでした。
食事はいつも有機野菜を畑から収穫して調理したり、パンやチーズ、肉類はいつも買い物リストをボランティアで書き、担当の方が買いに行って提供していただいていました。
調理は自分たちで行いましたが、みんな張り切って自分の国の料理をふるまっていたので、様々な各国の料理を食べられたのがとてもよかったです。
休日はジュネーブの中心地までバイクで40分程度だったので、みんなで街まで出かけていました。バイクを人数分用意していただけたので、バスの運賃も高いスイスではかなり助かりました。
ジュネーブの街は毎日のように夏のイベントが行われており、パレードや野外ステージ、
その他にも数多くの美術館やショップなど、スイスの雰囲気を知ることができるアミューズメントが多くありました。普通に街を歩いていても、国際色豊かなこの国が見て実感できました。コーディネーターのお姉さんが国連でインターンをしていたこともあり、メンバー全員では国連本部に赴き、彼女に案内してもらいました。その後に赤十字美術館に行ったり、UNHCRの建物の前を通ったり、国際協力に興味のある私はかなり満足でした。


CH-6.7 OEKOTOPIA (Uettligen)
21 July - 05 August 2008
8 Volunteers
有機製品を販売するProNaturaが主催する、会員の子ども達のための夏休みキャンプで、テントの設営・遊戯の組み立てやキャンプ中の料理を行うものでした。
広い空き地でのキャンプだったので、SCIボランティアもテントで生活をしました。
1テントに2人だったので、少し狭かったですが、、天候に恵まれていたので特に問題はありませんでした。
こちらも参加者はスペイン、チェコ共和国、スイス、私日本でした。
それ以外にも各地から150人の子どもが参加していたので、地域毎に班分けがされており、
1チーム約3〜10人に着き、大人のリーダーが1〜2人ついていたので、スイス人のボランティアの方もかなり多くいました。
私達SCIボランティアは料理担当だったので、リーダーの人達と同じ活動をするのは
キャンプ開始前のテント設営と終了後のテントやの片付けでしたが、
テントの近くにボランティア用のテントバーが設置されており、普段は夜までテントで
他のボランティアの人達とも話せる機会がおおかったので、とても楽しかったです。
スイスの公用語がフランス語だったり、西の方から来たボランティアの方はフランス語だったりしたので、
英語やフランス語、スイスドイツ語が飛び交い、スイスらしさを感じました。
ボランティア内容はテント設営では、団体の役割分担などの内部構造に問題があったようで、
準備がはかどらず、夜遅くまで働いていることもあったのですが、
他のボランティアの人が話をしてくれて、子ども達のために料理を作る活動では
SCIボランティア担当者が変わったこともあり、かなり活動しやすくなりました。
詳しくいうと、料理当番を交代制にして、それぞれが休憩する時間を設けました。
毎晩のように大人用のテントバーでは関連する団体のプレゼンテーションや、
催し物があり、SCIスイスの方も来てSCIの説明を行っていました。
私達SCIボランティアも、各国の特色をプレゼンする時間をいただきました。
私はジブリの映画と芸者のDVDを持っていたので、
それを流しながら、日本の文化について説明しました。
近くにスイスの首都ベルンがあったので、休日はSCIメンバーで外出したり、子どもリーダーのボランティアの人達も誘って街に出かけていました。
本当に良い人達ばかりで、メンバーも全体的に仲がよく、一番楽しめたワークキャンプだったと思います。


CH-3.1 Mixed Age Camp - Peace Village, Broc
10/08 - 22/08/2008
12 volunteers, mixed age camp
これは子ども連れのボランティアも参加可能なキャンプだったので、4人が子供連れでした。
人数も多く、参加者もフランス、スイス、スペイン、スロベキア、ドイツ、ノルウェーと
様々でした。
この平和村というのは子ども向けに平和や暴力についてのワークショップを行っており、
宿泊用の建物と広い空き地があり、毎年SCIボランティアの人達に
家や庭、空き地の改装をお願いしているようです。
平和村でのワークショップに来る人や子どもたちのために、共同寝室があったので、
ここがスイスのキャンプの中で一番宿泊施設が整っていました。
ちょうどペアで部屋を使う人がいなかったので、一人部屋で生活していました。
共同生活(特にテント内)に少し疲れていたので、一人の時間が持てるという意味ではとても快適でした。
ボランティア内容は、庭の整備だったのですが、かなり肉体労働で、男性がほとんどやってくれました。
女性は除草をしたり、部屋の掃除をしたり、料理当番のときにはりきったりして何かしら活動は行っていました。
料理は自分たちで作っていたので、いつものように色々な世界の料理を食べることができました。スイス人のボランティアや、平和村で働いている人もいたので、
ラクレットというチーズを使ったスイス料理を2回も食べれたので幸せでした。
小さい子どもを持った人も多かったので、昼寝など、子どもの面倒をする必要があることが
多いようだったので、ちょうどよかったかもしれません。
私はあまりあることがないときもありましたが、子どもも合わせて14人いるとすぐ食料がなくなってしまうので、買い物などを手伝っていました。
一部であまりボランティアをせずに休んだり、勝手にどこかにいってしまう人達がいたので
ボランティア同士で少しもめていましたが、全体的には受け入れ団体が思っていた以上に
やる気のあるボランティアの人が働いたので、すごくはかどったようです。
そのあまり働いていなかった人達によると、他のSCIのような団体の紹介でいった他のワークキャンプではもっと休む時間があり、午前中だけ働いて午後は自由などだったそうです。確かに、いつも8時半に起きて朝食を取り、終わるのは5時半くらいだったので、肉体労働をする人達にとってはかなりしんどい活動だったかもしれません。
他の団体のワークキャンプに参加したことがないのでよく知りませんが・・・。
平和村の団体自体については、受入先がワークショップを準備してくれ、
みんなで平和や暴力について考えるワークを行いました。
笑ったりする感じよりは真面目な感じでしたが、暴力をふるう子ども向けに相手がどう思うかを感じてもらうワークショップだったので、子ども向けのわりにすごくレベルが高いなと感じました。
余談ですが、コーディネーターのスイス人が日本語を上手に話せて日本が大好きな人だったので、母国語を使うことが全くといっていいほどなかった中、よい気分転換になりました。
色々な国の人達と話すのは楽しいのですが、やはり現地の人やボランティアの人とずっと
母国語ではない言語で話し、生活し続けるのは大変だなぁと感じました。

まとめですが、スイスは良い思い出がたくさんあり、とても楽しめました。
物価の高いスイスでこれだけあまりお金がかからずに生活できたのは正直びっくりです。
出会ったスイス人の人々も優しい人ばかりで、この国がとても好きになりました。
また他のSCIボランティアの人が行ってもきっと楽しめると思います。
英語やフランス語で会話する機会が多かったのですが、やはり自分の言語能力も
もっと高めてもっとスムーズにコミュニケーションできるようになろうと思いました。
それと、日本についてはやはりあまりメディアから見る情報やイメージしかないので、
自分の性格なのに「日本人はこういう人なんだ!」というふうに思われていたりして、
自分一人ひとりの行動や振る舞い、接し方も海外では気をつけて、もっと日本の印象が良くなるようにありたいな、と思いました。
長くなりましたが、とても貴重な経験をさせていただいてどうもありがとうございました。

 

 

『有機農業のお手伝い』(2008年)

キャンプ名:Jardins de Cocagne ,Drize(Geneva)
   期間:2008年6月29日(日)〜7月14日(月)
   場所:スイス、ジュネーブ郊外の農場
 参加者数:8名(スイス、ロシア、チェコ、スペイン各1名、日本、ポーランド各2名)

 ワークキャンプが行なわれた農場は、30年前に作られた生産者と消費者の協同組合”Jardins de Cocagne”の農場です。組合員の数は約400名で、みなさんジュネーブやその近くに住んでいるそうです。農場では、野菜や果物を有機栽培で生産している他、しいたけの原木栽培をしたり、穫れたブドウでワインを作ったりもしています。収穫した野菜は毎週1回会員に届けられます。遠隔地に出荷するのではなく、生産したのと同じ地域で消費する『地産地消』が行なわれているのです。農場で専従で働いている人は6人いるのですが、その人達は農場に住んでいるのではなく、各自の家から毎日農場に通ってきて作業をしています。その他、組合員は年に2回以上農作業をする決まりになっているので、時々一般の組合員の方々も農作業のために農場に来ます。ワークキャンプ中は、そういう方々と一緒に作業をしていました。

 農場には、台所と食堂を兼ねた小屋がありますが、宿泊施設はありません。したがって、ワークキャンプ参加者は各自が持参したテントの中で寝袋にくるまって寝ていました。小屋にはガス(プロパン)や水道はあるのですが、電気が来ていないので、暗くなるとランプを使っていました。まさに、2週間の「キャンプ生活」を送っていたわけです。また、トイレやシャワーは屋外にあり、それぞれ“すだれ”でまわりを囲っただけの簡素な作りでした。トイレは地面に穴を掘って足をのせる板を置いてあるだけ、シャワーは冷たい水しか使えませんでした。そんな、今まで参加したワークキャンプの中で最も簡素な生活環境でしたが、僕自身にとってはそれで充分でした。もともとアウトドアレジャーや長旅が好きなので、テントで寝る夜が数週間続くのは苦にはならなかったし、毎日水シャワーしか浴びられないのも、長旅をしていれば当たり前にあることですから馴れたものです。むしろ、寝る時や自由時間に自分のテントでひとりで過ごす時間を持つことができて良かったと思います。

 ワークの内容は農作業の手伝いです。主に草取りをしていましたが、手だけで草を取るのではなく、場所によって機械や道具をうまく使いながらやっていました。長時間手で草取りをやっていると、疲労が大きいだけでなく、腰が痛くなってくるものです。道具の活用によって、腰の痛みを軽減できてよかったと思います。日によっては、野菜の収穫や苗の植え付け、種まきをする日もありました。天気のいい日は屋外の畑で作業をし、たまに雨が降る日にはビニルハウスの中で作業をしていました。屋外での作業はいつも炎天下の作業となり、かなり暑かったので、常に水分補給を欠かさないようにペットボトルに水を入れたものをたくさん持って畑に行っていました。暑いのは大変でしたが、天気はいいし景色はいいし、気持ちのいいワークでした。

 ワークの時間は、月水が午前と午後4時間ずつ、火木金が午前4時間のみ、土日がお休みというスケジュールでした。農場からジュネーブの街まで近かったので、午後のワークがない日には、みんなでよくジュネーブに遊びに行きました。ジュネーブの古い街を歩いたり、植物園や博物館(無料)に行ったり、湖で泳いだり、フラメンコショーを観たり(無料)、カフェでおいしいビールを飲んだりしていました。夕食の後もまだ外が明るいので(日没が午後9時過ぎ)、何人かでサイクリングに行く事もありました。自転車で農村を走り回ったり、国境を越えてフランスへ行ったりしていました。ジュネーブのような素敵な街が近くにあったり、自転車が農場に7台もあったりと、いい条件が揃っていたおかげで、空いている時間を楽しく過ごせて良かったと思います。また、土曜日にはみんなでハイキングに行ったりとか、国連のヨーロッパ本部に見学に行ったりもしました。日曜はFree Dayとしてそれぞれ自由に行動していまいした。

 ワークキャンプ中の食事は、交替で毎日2人ずつ料理当番を担当して作っていました。穫れたての新鮮で美味しい野菜がいつでも豊富にあるし、パンやチーズや卵など農場の方が買って来てくれる食品もとても美味しものばかりでした。僕は食べなかったのですが、ウィンナーやハムなども皆さん美味しそうに食べていました。冷蔵庫はないのですが、それは問題ありませんでした。冷蔵庫はなくても生活は成り立つものです。毎日美味しい食事をたっぷりいただくことができて、とても幸せでした。木陰にテーブルが置いてあり、雨の時以外はいつも屋外で食事をしていましたので、気持ちよく食事をすることもできました。

 ワークキャンプ中の使用言語は英語です。そのため、英会話の苦手な僕はけっこう苦労しました。ふたりきりで話をしているときはまだいいのですが、何人かで話していると、人が話している事が聞き取れなかったり、何を言っているのか理解できなかったりする事がよくありました。まあ、言葉が完璧にわからなくてもなんとか通じることもあるのですが、作業の手順など、きちんと理解しておかなければいけないような重要な事は、わかるまで聞き返したりしてはいました。1日中英語で過ごしているととても疲れてしまいます。そんな時の為にも、自分のテントに入ってひとりになる事ができてよかったと思います。

  有機農業というと、長時間労働でほとんど休みも取れない大変な仕事と思っていました。実際、僕の知っている有機農家の人達は、程度の差こそあれ、だいたいそういう傾向にあります。ですが、この農場で専従で働いている方々は、週5日しか働いてなく(土日は毎週休み)、1日の労働時間は8時間程度で、さらに、夏には交替で2週間ずつのバケーションを取るとのことです。有機農業も、単に生産技術にこだわるだけではなく、生産から流通、消費までをトータルに考え、工夫することが大切ではないかと思いました。

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 ☆ベルギー

『ベルギー 難民センターでボランティア(2008/7/7〜7/26)』

・活動内容
難民センターで夏休み中の子供たちの世話をした。ボランティアのメンバーはリーダーのベルギー人1人、チェコ人2人、スペイン人2人、日本人1人の6人で、施設内にある別館で共同生活をした。基本的に公用語はフランス語で、難民の大人たちとは英語で話した。初日にセンターの説明や、ベルギーにおける難民問題について説明を受けた。このセンターは出入り自由の施設なので、日本にある収容所とは大きく異なる。人数は130人で、アフリカ(アルジェリア、ソマリア、ガーナなど)と東ヨーロッパ(コソボ、セルビア、クロアチアなど)から来ている難民が大半だった。基本的に家族を受け入れている施設だったので、1人で住んでいる人は少なかった。
 何をするかは全て自分たちで決めることになっていて、週の初めに1週間の予定をたて、センターに常勤しているボランティアの方に確認してもらった。基本的に6人の中で午前と午後の2グループに分かれて活動した。3週間の長丁場だったので、そうしないと体力が持たなかったため。午前に屋外で遊んだら午後は工作をするという風にバランスをとり、天気や子供たちの人数に合わせてプログラムを考えた。子供の年齢は3歳〜15歳くらいまで様々で、基本的に小学校低学年の子供たちと遊んだ。
 週に1回課外活動があり、子供も大人も一緒に海に行ったり、公園に行ったりもした。誕生日会があったり、最後の日には私たちのためにパーティーを開いてくれたりもした。基本的には子供たちのお世話であったが、スペイン人の男の子はサッカーが得意だったので、彼だけ特別に大人たちと毎日のようにサッカーをしていた。また、私は婦人たちに折り紙を教える講習会も開いた。このように、子供だけではなく、自分たちのアイデア次第で大人とも交流が持つことが出来た。
また、ベルギーの他のボランティアグループとも交流があり、お互いの活動内容を報告し合う場もあった。SCIのベルギー支部の方が2週目に1回、最終日に1回様子を見に来たが、6人の息もぴったりで、センターの方々もとても親切にしてくださったので、全員が声を揃えて何も問題はなく楽しく過ごしていると答えた。

・生活
居住者とは別に設けられた施設内の別館には、大きな教室のような部屋があり二段ベッドを使用した。トイレや洗面所はあったが、シャワーは居住者の住む本館にあるものを利用した。別館には鍵がついていてセキュリティに問題はなかったが、鍵の管理には十分に気をつけた。衛生上の問題もあり料理は作ってはいけなかったので、食事は1日3回支給され居住者と一緒に食べた。生活で困ることは全くなく、快適に過ごすことが出来た。一つ問題を挙げれば、枕が堅かったとみんなが言っていたが、私はどこでもどんな状態でも寝ることが出来るので気にならなかった。
働くのは平日だけだったので、週末はベルギー国内を見て回った。リーダーがベルギー人だったので案内してもらえて助かった。また、リーダーの友達を紹介してくれたり、家に泊めてもらえたり、充実した時間を過ごすことが出来た。
平日の夜には、ボランティアメンバーでセンターの周辺を散策したりプールに行ったり、居住者と一緒にバーに行ったり、ビリヤードをしたり、OFFの時間も非常に楽しかった。子供たちがあまりに元気で疲れたときも、十分気分転換をすることが出来た。

・感想
 初めてのワークキャンプで、しかも見知らぬベルギーという土地で3週間ということで、出発前は緊張していた。しかし終わってみればあっという間の3週間で、本当に「楽しかった」という言葉につきる。何よりボランティアのメンバーが最高であった。これ以上最高のグループはないだろうと自負している。ベルギー人のリーダーは基本的に他のメンバーのサポート役に回ってくれて、何かあると引っ張ってくれるという素晴らしいリーダーシップをとってくれた。私以外はワークキャンプの経験があったので、最初は見よう見まねで子供たちの相手をしていた。プログラムを考えるときもそれぞれが意見を出し合い、積極性があって困ることは特になかった。みんなとにかく話すことが大好きで、いつも笑いの絶えない明るい雰囲気であった。センターの所長さんもここまで中の良いグループは初めてだとおっしゃってくださり、このチームワークのおかげで、センターの子供たちとも大人たちとも良い関係を築くことが出来たのだと思う。センターのスタッフの方々にもとても親切にしてくださり、いつも気にかけていただいた。ご飯を一緒に食べて、時間があるときはスタッフの方々とも出かけた。
 このワークキャンプを選んだのは、フランス語圏でやりたいということ、そして興味のある難民問題について考えたいということが理由である。日常会話が出来る程度のフランス語力があるという規定があったので、コミュニケーションには問題がなかったが、居住者とのコミュニケーションには考えさせられた。様々な経験をしてこのセンターに集まった人々なので、簡単に言葉では表現できない感情を持っていた。そこをどのように理解するのか悩んだこともあったが聞き役に徹した。何より、大人子供関係なく仲良くなった人たちが自分たちの思いを話してくれるのが嬉しかった。日本でも難民問題について考え、会合に参加をすることもあったが、実際に生活することで新たな発見もたくさんあった。
 とにかくこのワークキャンプに参加できたことを心から嬉しく思う。貴重な体験が出来たこと、ボランティアのメンバーと深い関係を築くことが出来たこと、難民問題に対する理解が深まったこと、全てが期待以上で絶対に忘れられない最高の3週間になった。

・気づいたこと
 このワークキャンプを申し込んだのは留学先のフランスだったので、日本支部から連絡がくるのかベルギー支部から連絡が来るのか分からないときがあった。最終連絡(集合場所や時間など)の連絡が遅くチケットをなかなか買えなかったので、もう少し早く連絡してもらえたら有難いと思った。

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 ☆オーストリア

『アルプスの伝統的な酪農を守る(2008年7月〜8月)』

 アルプスの山岳地での伝統的な酪農を維持していくことは多くの困難を伴います。伝統的な酪農家の方々は、夏の間は標高の高い(1,500〜2,000m位)山の斜面にある牧草地に牛を放牧しています。山の中の牧草地は、きちんと手入れをしていないとどんどん雑木が伸びてきて茂みに覆われていき、やがて、何百年もの間維持してきた牧草地がなくなっていってしまいます。したがって、牧草地を維持していく為には、伸びてきた雑木を切って処分しなければなりません。多くの牧草地はとてもアクセスの悪いところにあり、多大な手間を必要とする上、伝統的な酪農はとても生産性が低く、また、牛乳や牛肉の価格が低いために経済的にキビシくなっています。そのせいか、山間部の放牧地はこの80年間で約半分に減ったとのことです。ですが、この伝統的な酪農は、地域の資源を有効に活用し、輸入飼料に頼らずに牛を飼育できる方法であります。そして、アルプスの美しい景観を守ることにも役立っているのです。僕たちは、このワークキャンプで牧草地を整備するお手伝いをすることによって、アルプスの伝統的な酪農を支援することができました。

 総勢27名の参加者が泊まるために用意していただいたのは、山の中腹(標高1,370m)にあるスキーリゾートのしゃれたペンションでした。3〜4人ずつ泊まった客室には、それぞれシャワールームや洗面所、トイレが付いています。もちろん寝るのはベッド。客室の他には食堂やミーティングルームがあり、今まで参加したワークキャンプで泊まっていた所に比べると、贅沢過ぎるくらい豪華で、とても快適に過ごせました。ですが、ワークをする牧草地は1ヶ所ではなくあちらこちらにあり、その日によってワークの場所は替わります。ペンションから遠く離れた所で作業をする時は、その場所の近くにある小さな山小屋に泊まることもありました。山小屋では、寝るのは寝袋です。もちろんシャワーなんてありません。昼休みに川に遊びに行き、その時に冷たい水で体を洗ったりもしましたが、そういう川さえない場所もありました。ペンションに比べたら山小屋の方はとても簡素な所ですが、だからといってそれが苦痛なわけではなく、そういう生活の方がかえってワークキャンプっぽいような気もしました。

 ワークは週4日で、土日の他に水曜か木曜がお休みでした。ワークそのものの時間は日によって違い、おおよそ5〜8時間程度でしたが、とてもハードで大変な作業でした。その上ワークをする場所が標高1,500〜2,000m位の所にありますので、僕たちは毎日そこまで歩いて往復しなければなりませんでした。日によっては、片道2時間もかかったこともあります。体に蓄積されていく疲労を考えると、ワークが週4日でよかったと思います。ワークの内容は、上記の通り牧草地の整備です。牧草地の中に伸びてきている雑木を農家の方々がチェーンソーでどんどん切っていきますので、僕たちはそれを集めて山積みにします。場所によっては、それに火をつけて燃やすこともありました。前半の1週間は天気の悪い日が多く、連日冷たい雨が降り、みぞれが降る中でワークする日もありました。後半の1週間は晴天に恵まれ、ワーク中も山からの眺めはとても素晴らしかったです。

 ペンション滞在中は、朝食と夕食は食堂でペンションの食事をいただきました。夕食は、オーストリアの伝統的な料理が中心でした。朝食の時に、昼食用に自分でパンにバターやジャムをぬったりチーズやハムをはさんだりしたものを作り、それを袋に入れて作業する場所まで持って行ってお昼に食べていました。山小屋に泊まった時は、農家の方々が作ってくれたものを食べていましたが、日によっては自分達で朝食を作ったりもしました。

 参加者はとても元気で体力のある人が多く、昼間あれだけハードに働いているにもかかわらず、毎晩飲み会をやったり、時にはナイトハイキングに行ったり、ワークのある日なのに朝食前に朝4時過ぎからハイキングに行ったりとかしていました。休みの日には、連日のハードワークで溜まった疲れを癒す為にリラックスして過ごしたり、ゲームに興じたりする事もありましたが、天気のいい日はハイキングに行ったりサッカーをしたりフリスビーで遊んだりと、体を動かしていることもありました。ワークキャンプの真ん中の土曜には、夕方から“International Lederhosenfest in Windisch-Garsten”(lederhosenとは、オーストリアの伝統的な民族衣装です)という『音楽とビールの地元の大きなお祭り』に行き、夜中の2時まで楽しんでいました。

 人里離れた山の中で、しかもハードワークだったにもかかわらず、嫌になる事なく2週間楽しく過ごすことができました。それは、
 ・ワークの目的と意義が理解でき、納得できることだった
 ・ハイキング、ゲーム、スポーツ、飲み会、お祭りなどのアクティビティが充実していた
 ・多くの仲間と共に過ごせた
ということがあったからだと思います。

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 ☆ドイツ

『イルメナウ・ドイツのワークキャンプ報告』( 2008年8月15日〜9月5日)

大まかな流れ
初日は事務所で待ち合わせて、みんなで3週間過ごすことになる山小屋に移動し、自己紹介やオリエンテーション、予定の簡単な説明を受けました。土日は仕事をせず、それぞれゆっくり過ごしたり、みんなでテーブルゲームなどして交流を深めました。また、金曜日の夜にはイルメナウの町に移動し、大学の寮にいくつかのグループに別れて泊まり、土曜日の朝早くから他の町へ観光しに行ったり、文化的な建造物を見てまわったりしてドイツの歴史を学びました。平日は大抵、8時頃起床し、朝食を済ませた後仕事に出かけます。正午に一旦戻り、昼食の時間を含む二時間の休憩をとり、また仕事を3時間ほどしました。夜は、基本的に自由で、時々みんなで映画を見たり、ただ話しながらドイツのビールを楽しんだり、外でキャンプファイアーをしたりしました。9月3日にはキンダーガーデンを訪問し、地元の子供達にそれぞれの国の文化や、挨拶などを教えるなどして交流を深めました。4日に荷造りと片付け、大掃除をしてイルメナウの町でお別れパーティーをし、最終日にそれぞれ帰国したり、中にはもう数日観光を楽しむ人もいました。

参加者
 私と、スウェーデンに留学中の韓国人の女性、イタリア人の女性と、フランス人男性が一人ずつ、また、トルコ、ロシア、スペイン女性が2人ずつ(ロシア人女性は姉妹でした)、ドイツから男性1人と女性2人が今回のワークキャンプのリーダーとして、計7ヶ国籍の13名がレギュラーとして参加しました。その他にも、ドイツ人参加者の友達が代わる代わる手伝いに来てくれたり、仕事ではフォレスターたちがリーダーとなっていたりして、多くの交流がありました。

仕事
この場所は去年ハリケーンの被害を受け、山の木々が倒れてしまっていたため、去年から再生活動がされていますが、まだ十分ではありません。そのいくつかの場所に、比較的成長の早い、強い種類の若い木を植え、それらを守るための広域なフェンスを建てたり、去年建てられたフェンスを解体し、片付ける作業をしました。フェンスを打ち付けるための木材や、解体されて巻かれたフェンスはとても重く、数少ない男性陣が主に運搬などの力仕事を担当していました。

食事
朝食、昼食は基本的に自由で、それぞれ簡単な調理をしたり、シリアルやパンなどを食べていました。夕食には、ペアを組んで順番に、各々の国の料理を作ってみんなで楽しみました。また、BBQをする機会もあり、ドイツでポピュラーな大き目のソーセージやステーキ、またBBQ用のチーズなどもありました。

言語
言語は基本的に英語でしたが、それぞれの国の挨拶や簡単な自己紹介の仕方などを教えあったりして、みんな少しずつそれぞれの国の言葉を覚えて帰りました。英語力不足のせいで、コミュニケーションがうまくいかなかったり、摩擦が生じたりということはほとんどなく、それぞれが寛大な心の持ち主だったので、何事も穏やかに、有意義に過ぎていきました。

このワークキャンプを通して
 最初はメンバーのほとんどが女性だということに少し不安を覚えたり、ドイツの気温の低さにびっくりしたりと、多少の戸惑いはありましたが、2,3日でそんな不安要素はなくなりました。みんなとてもいい人で、たまに自分の英語がうまく伝わらなかったときも、みんなが耳を傾け、ちゃんと理解しようとしたり、誰かの調子が悪そうなときも誰かが気づいて声をかけたり、みんながみんなを支えあって3週間をともに過ごしました。細かいすれ違いなどは当然ありましたが、最終的には家族のようになり、最後の別れのパーティーではほとんどが泣きながら笑いあって、「さようなら」ではなく「絶対また会おうね」と言いあいました。実際、最終日が近づくにつれて、私自身気持ちが落ち込んでしまい、みんなが私を元気付けようとしてくれたのを、今でもはっきりと覚えています。このワークキャンプを通して私が学んだのは、英語だけでなく、その他の言語だけでなく、言葉以上に大切な、とても熱いものだったと思います。このワークキャンプに参加できて本当によかったです。


『ドイツでのワークキャンプ』(2008年)

就職活動を控えたこの時期にワークキャンプに参加し、本当に良かったと今、心から思っております。

何もしないよりは何かすることに意味がある。ほんのちょっとの勇気で見える世界がある。この度のワークキャンプを通して、今、私が考えることです。

この度私は3週間、ドイツのワークキャンプに参加いたしました。約20人の仲間と共に過ごした3週間。私はその中で唯一のアジア人でした。「他者の存在を通して自らを見る」としばしば言われますが、私はこの3週間、自分の文化とは異なる文化を持つ人々と過ごすことで、アジア人としての自分、日本人としての自分、そして小林可奈という1人の人間としての自分を見つめる事ができました。

3週間、戦争捕虜収容所跡地の記録のため現在は雑木林と化している場所で、私たちワークキャンプ参加者は、朝から夕方まで炎天下の中、汗を流して働きました。私がこの度のワークキャンプで身をもって体験したことですが、記憶を記録として残すことの大変さ、そして大切さは計り知れないものです。しかし、過去の自国の行いを現代に伝える、ということは、その国が過去に起こしたことへの罪滅ぼしであると同時に、その国の未来に対する責任を現在の政府がきちんと取っている証だと思います。この度のワークキャンプを通し、今、そのように思います。

ワークキャンプを通し、「自分が知らない世界はまだまだ沢山ある!自分の可能性が発揮できる場所、学べる場所、成長できる場所、好きだ!と思える場所はまだまだ沢山あるんだ!」
ということに気が付きました。

より広い視野で物事を見ることにより、見える遠い世界、そして今まで見逃していた近くの世界の物事も見えてくるのでは、と今、思います。

これから就職活動も本格化し、将来について考える機会も多くなりますが、より広い視野を持ち、そして大きく柔軟な心で困難を受け止め、乗り越えていけたら、と思います。

このように思えるのも、ワークキャンプで様々な人と出会い、様々な経験をしてこそです。

旅は人を大きくしてくれる、としばしば言われますが、私もこの度のワークキャンプで、少し成長できたかな、と思っております。

この度、ワークキャンプに参加して、本当に良かった!今、心からそう言えます。

 

『ドイツでのワークキャンプ』(2008年)

私は今年の夏ドイツで行われたワークキャンプに参加しました。内容は以下の4つに大別できます。
1. 博物館における展示の仕方(人々の理解をより深めるためにはどのようにすれば良いか)
2. 体験者の話
3. 収容所跡の清掃
4. 他の収容所跡の見学
5. ワークキャンプを通して知った第二次世界大戦に関する自分のプレゼンテーション
中でも特に印象深かったのが体験者の方のお話です。1人 はユダヤ人であったために収容所に送られた方です。そこでの壮絶な体験を話してくださり、Naziの犯した愚かな行動が彼の人生を深く傷つけたことをはっきりと知りました。彼が収容所時代で忘れられない体験があるといって語ったのは、Naziの身体検査で母親と別の列に振り分けられ、その時に見た姿が「お母さん」の最後の姿になってしまったこと、終戦が近づき収容所から収容所へ送られている時、朝起きると隣の人が亡くなっていたこと、です。それらを静かに語られる姿からは当時の悲惨さがより深く胸に迫りました。彼が深い深い悲しみや怒りや絶望を乗り越えてこられたことが容易に想像できたからです。勿論、彼のその感情を理解することは、何の不自由もなく生きてきた私にはできませんが、その感情が創造を絶したものであること、簡単に人に話せる様なものではないこと、それを乗り越えるのに途方もない時間がかかったであろうこと、その様なことは私にすら想像に難くないことでした。戦争体験者の方の話を本で読んでいるだけでも戦争の愚かさに腹が煮えくり返るような思いをしますが、眼の前で話している人の身に起こったことだと思うとどんな怒りも通り越して涙が出そうでした。それぐらいこの平和な世界で生きている私には衝撃的なことでした。最後に彼が自分で作った詩を読んでくださいました。それは「どのようにして収容所で生き延びたか」という問いに対する答えになっているものです。その中に「私の人生は神からの贈り物であろうか、いや、きっと私の人生はただの幸運に過ぎないのだろう」という一節がありました。私はこの一文に彼の拭っても拭いきれない悲しみを言っているようでとても悲しい気持ちになりました。もし出来るならば彼に彼の人生はただ幸運ではなくやっぱり神様からの贈り物であったと言いたいし、そう思ってもらいたいと思いました。
2人目はドイツ生まれのユダヤ人で、戦争のためにアメリカに移住し、そこでアメリカ軍の兵士としてドイツ軍と戦った方です。アメリカの軍隊では仲間もでき、嫌な目にあったことはないと仰っていましたが、収容所を解放した時のことはあまりの悲惨さに今でも忘れられないと仰っていました。彼の良心もまた収容所に送られてそこで亡くなっているので、その光景は決して人事ではなかったのだろうと思いました。自分の命は助かったけれども自分だけアメリカに行き、生き残ってしまったこと、彼はそのような感情を話すことはありませんでしたが、そのような罪悪感とそれでも生きなければいけなかった苦しみが感じられて、あの時代幸せや楽な生き方など存在しなかったということを知りました。
同じユダヤ人でありながら、それぞれ違った道を歩み、しかし、同じように苦しんだお二人のお話は、私の中で大きな衝撃になりました。その計りしれない悲しみ、怒り、様々な感情、私がそれに共有することは出来ませんが、それを絶対に忘れたくないと思いました。また、救いであったことは、そのような体験をしても、今お二人が穏やかに生きておられるということです。私がいうのも変ですが、お二人にはこれから先誰よりも幸せを感じてもらいたいと強く思いました。
ワークキャンプの他の面として、今回ともに参加したメンバーにとても恵まれていたと言うことができます。皆親切で、毎晩一緒にゲームをしたり、キャンプファイヤーを囲んで歌ったり、とても楽しい時間を過ごすことができました。たった2週間ですが、たった2週間とは思えない充実した時間を共に過ごせて、本当に有難く思っています。(因みに、ワークキャンプの後、イタリアから参加していたメンバーを尋ねて行きました。)リーダーも私達がうまくいくように日々の生活を組み立ててくれたり、通訳をしてくれたりと、非常に献身的で有難く思っています。年齢が近かったこともあり、リーダーでありながら友達としても付き合え、さらに良い関係が築けました。受け入れ先の方々もとても親切で、私は本当に快適に日々の活動に取り組むことができました。小さな所でしたので、周りの方との結びつきが強く、皆さん暖かく受け入れてくださり、まるで親戚のところに遊びにいったような気分になりました。
このワークキャンプを通して、体当たりの経験を聞かせてもらえたこと、沢山の方々と時間を共有できたこと、その中で意見を交し合えたこと、全てが大切な経験となりました。この機会を与えてくださった方々全てに感謝しています。ありがとうございました。

 

 

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 ☆2ヶ国以上

『ワークキャンプレポート 』(ロシア・ドイツ 2008年)

私は7月19日からロシア、8月17日からドイツのワークキャンプに2週間ずつ参加してきました。キャンプに参加するのは今回が初めてで、今まで海外へも行った事がなかったのでわからない事だらけでしたが、全てが新鮮で刺激的でした。一番の心配事は英語で、私の英語力ではワークメイトと十分なコミュニケーションが取れないのではととても不安でした。ロシアのキャンプでは他に英語の得意な日本人の女の子が参加していて、終わってから考えるとその子に頼ってしまっていたと思います。その子に聞けば大丈夫だろうという気持ちが私の中にあったので、わからない事があってもその場で聞かなかったり、自分で動いて解決しようという姿勢を持てなかったように思います。不運な事にそのキャンプではキャンプリーダーとメンバーの間でいざこざが生じ、最終的にリーダーがキャンプを去るという残念な結果に終わってしまったのですが、メンバー達と何度も話し合いをする中で自分の意見も十分に言えず、話についていくのに精一杯でした。しかしドイツのキャンプではあまり英語には不自由しなかったように感じました。ドイツの参加者は比較的英語が得意ではない人が多く、そのためか私も英語を話す事に抵抗なくのびのびと話せたように思います。ロシアでの経験の後という事もあり、自分でも積極的に動いて輪に入っていかなくては、という気持ちが強くあったので、意欲的に毎日を過ごし、ワークメイトとも良好な関係を築く事ができました。2つのキャンプで共通して感じたのは、他メンバー達の自己主張の強さでした。皆が強い、というよりもむしろ日本人が弱いと言った方が正しいのだと思いますが、彼らは本当に自分のしたいことをし、言いたい事を言い、それでいてきちんと周りを思いやっていて感心させられました。それと同時に私の自己主張と気の弱さを実感しました。気が弱いのは私の個人的な性格だけれど、やはり日本と他国との教育方法の違いと強い国民性の違いを感じました。仕事の内容は、ロシアでは隣接する協会へ週末やってくる神父さんのための家を建設することでした。途中から始まり途中で終わったので私たちが来る以前の人たちの苦労も、私たちが去った後どのように建設が進み完成したのかはわからないけれど、メンバーやプロジェクトの人たちと協力して建設を進めていくのはとても楽しく、やりがいと達成感を感じられる仕事でした。その点を比較するとドイツのキャンプでの仕事は一貫性に欠けるものでした。参加者達の働きたいという意欲とは裏腹にまとまった仕事はなく、雑用をあてがわれるだけでメンバー間の協力や達成感などを得られなかったのは残念でした。ただドイツのキャンプではいろんな人を招いて周りの草木の説明をして頂いたり、キャンプ地の周辺を自転車で回って自然や歴史について、現在かかえている問題などを教えて頂きました。どちらのキャンプでも様々な問題が生じて簡単ではなかったけれど、でもそれによってまた他メンバーと深く関わる事ができ、乗り越えたときには絆の深まりを感じる事ができました。本当に様々な国籍の人たちと出会い、文化の違いに戸惑いもしましたが、それによって自分がアジア人、日本人であるという事を自覚し、また日本の文化を客観的にとらえることができ、他文化に興味を持ち理解が深まりました。今回のワークキャンプ参加で得たものは、そういった自国を含めた文化の理解だと思います。そして今回をきっかけにもっといろんな国を、もっと深く知りたいと心から思いました。

 

『ロシアとドイツでのワークキャンプ』(2008年)

私は元々NGO・NPOという団体に興味はありましたがアフリカなどの地域の貧しい子供たちのために何かをしたいなと思っていました。そんな時このSCIという団体を知りボランティアにもたくさんの種類があるという事を知りました。そこでまずはSCIがどのような団体であるのか、ボランティアはどのようなことかを知るために最近大きな社会問題になっている環境をテーマに探し参加することを決定しました。
ロシアのキャンプの参加者は全部で7人でした。ロシア・スペイン・ドイツ・モルドバ・日本でその他にも私たちに仕事を教えてくれるアメリカ人、現地のロシア人がたくさんいました。年齢層も高く慣れない環境に最初は緊張していたがだんだん慣れてきました。仕事内容は主に神父の家作りでした。初めての事だらけでしたが丁寧に教えてくれるし多少力仕事はありましたが特に辛いことなくむしろ自分たちにもこんな仕事が出来るのだって思えて楽しかったです。壁や床に板を打ち込んだり窓やストーブのペンキ塗りをしたりと普段体験できないようなことが出来て楽しかったです。しかし大変だったのはメンバー同士の問題です。いくつか問題が発生しその度に話し合いの場が設けられました。最初みんながどんどん嫌なことは嫌など相手に対して言っているのを見て大分カルチャーショックを受けました。でも海外ではとことん話し合って解決すればそれでいいんだよって言われて理解しました。それと同時に自分がああしたい、こうしたいなど自分の意見があるのならそれはしっかり自分で伝えなきゃ誰もわかってくれない、代弁ではいけないのだという事がかなり身にしみました。うまく話せないからなんて理由も全く関係なく自分の言いたいこともうまく言えない自分が悔しくて辛かったです。でもとてもいい刺激になったと思います。そしてこのキャンプ地にはたくさんの孤児がいてみんなでパーティーしたり湖に泳ぎに行ったりおりがみを教えたりと楽しく過ごせました。両親がいなくつらい事もたくさんあるのだと思うが私は子供たちからそんな事全く感じなくてむしろとても元気で素直ないい子たちでした。みんなより少しお姉さんな子はちゃんと小さい子の面倒を見ていてえらいなと本当に思いました。日本では少年犯罪など未成年の子供の犯罪が年々上昇している。その原因は家庭環境も大きな原因のひとつで、決して環境がいいとは言えないこの子達だけどこんなに立派に生きているこの差は何なのかとも思いました。そしてロシアに対してもうひとつ驚いたのがごみの分別が何もないことです。こんなに環境問題が問題になっている今どうしてだろうと思いメンバーのうちの一人が尋ねると日本みたいにお金があればやるけどお金がないから出来ないんだよって言われました。とても考えさせられるものがあります。私は世界にある様々な格差をどうにかしなければいけないと本当に思いました。
ドイツのキャンプの参加者は10人でした。フランス・イタリア・スペイン・ロシア・チェコ・日本、そして現地のドイツ人たちです。二回目のキャンプという事や同じぐらいの年が多かったのであまり緊張することもなくメンバーにすぐに溶け込めました。みんなでゲームをしたりサイクリングしたりとても楽しく過ごすことが出来ました。今回はメンバー全員とよくコミュニケーションをとることが出来たと思います。仕事は気を運んだりペイントしたりとあまり仕事自体もないのと断片的で達成感を得たりは出来なくてもっと仕事あしたかったという反省点、今後改善してほしいという意見も出ました。しかしロシアの時にはなかったがドイツではその土地の自然について勉強したりと今の状況や自然のことについて勉強出来たのはよかったです。またそれぞれの国についてお互い知り合え、日本についても大分関心を持ってくれてとてもうれしかったです。そしてどんなにうまく話せなくても聞こうという気持ちさえあれば分かり合えるんだなって思いました。その気持ちが大事なのだと思いました。途中メンバーが抜けてしまうという問題があってもっと他に何か手はなかったのかなと思いとても残念です。だけどこのキャンプでは本当に充実した時間が過ごせたし参加してよかったと思いました。
このボランティアを通して本当にたくさんのことを学び感じました。当時はつらい事も多少あったけど今となればとても貴重ないい経験だと思います。私はこの経験を今後生かしていきたいし機会があればまた参加したいと思います。

 

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■ 長期ボランティア

『アメリカ・マサチューセッツ州 North Plain Farmにて(2006年9月 〜 2007年8月)』


2007年8月9日午前5時。いよいよ日本帰国の日だ。
日中は常に15名ほどいるキッチンに私一人。いつも賑やかなNorth Plain Farm(以下NPF)が静けさに包まれるこの時間は、この1年間共に過ごした仲間たちとの思い出を振り返るのに最適だ。

「一年間、あっという間だった」

自閉症や難聴、癲癇といった障害を持つ7名と共同生活を送るNPFの朝は早い。私の場合、早起きの子のために毎朝5時半の起床から始まり、総勢15〜20名分の三度の食事、掃除洗濯、各アクティビティーの参加をし、皆が寝付く夜の9時までと、とにかく座るヒマがない程だ。
サンクスギビングやクリスマスといった休暇時になると、他施設から数名のゲストもやってくる。笑い声の絶えない場所だ。

昨年度、NPFでの生活を始めたころは不安で意だった。
障害者の知識ゼロ、英語も下手、もともとはインドネシアに行きたかったのにと、「期待に胸膨らませて…」とは言える状態ではなく、「やるしかない!」という気持ちのほうが強かった。そんな中、私の意識を変えるきっかけになったのは、ある障害者の一言だった。

「ここにいて楽しい?」

その瞬間、目の前にある家事に追われ、ついつい眉間にシワがよっている自分に気づいた。ハッとした。
自分なりにNPFでの生活を楽しんでいるつもりだったのだが、やはりそれはあくまでも“つもり”。その子は私の眉間のシワを見て、自分が何かしてしまったと勘違いしていたのだ。その出来事までには数ヶ月間共に生活し、自分の態度ひとつで相手、特に世話をする障害者の精神状態が全く変わってしまうと身にしみて分かっていたのに、いつの間にかそれを忘れてしまっていた。早く仕事を終わらせなくては、と常にセカセカ動き、いつのまにか自分に余裕が持てなくなっていることに気づいた。
この一件の後、常に前のめりだった姿勢を少し後ろへ戻すように心がけることで、より自然な自分で生活することができ、また心にも余裕が持てるようにない。こうすることで以前よりも、彼らの生活上で今何を必要としているのかがすぐに分かり、その手助けをすることで更に彼ら障害者との信頼関係を気づくことができたのだ。

この一年間は私にとって、もっとも刺激的な年になった。異国の言葉・文化・生活様式・人々…全て私が知る日本とは全く異なる世界でのボランティア。壁にはぶち当たるし、つらいと思う事もある。しかし、それを解決しようと努力して得たものが、今の自分自身につながっていると思う。
これが最後ではなく、今後も国内・国外を問わず、積極的にボランティアに参加していきたい。

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『スリランカでの長期ボランティア活動(2005年5月〜2006年3月) 』 .

 当時、大学3年生も終わりに近づいていた私は、発展途上国で1年間ぐらいボランティアをしたいと思い、そんな夢を叶えてくれる団体をインターネットで探していました。ただの学生で、発展途上国経験もない私を受け入れてくれるかは疑問でした。
 多くの団体が多額のお金を支払わなければそんな体験を提供してくれないことが、徐々に分かってきました。また、申し込んでも返事がない海外のNGOもいくつかありました。ようやく2ヶ月探した後に、サービス・シビル・インターナショナル(SCI)という団体に辿り着きます。折しも2004年のインド洋大津波が起こった後で、SCIスリランカ支部が津波の復興支援を行なっており、ボランティアを募集していたのです。SCIのワークキャンプの経験もない私でしたが、東京の事務局に行き、お話をして、派遣してくれることが決まりました。

  現地での10ヶ月間の復興支援ワークキャンプで出会った人々は世界15カ国からの50人ものボランティアの方々です。私はチルドレンプログラムを担当し、週に4回、難民キャンプ、自分が住んでいた村、小児病院でチルドレンプログラムを行いました。その他にもさまざまなワークを行いました。例えば、ヒンドゥー寺院の修復作業、難民キャンプのトイレの塗装、村の図書館や幼稚園の建て直しなどなど、これまで日本でやったことも、想像したこともない仕事ばかりです。

  ワークキャンプ中の生活も今思い出してみると、不思議な気がします。最初は辛すぎて涙を流しながら食べていたスリランカのカレーが好きになっていったこと。給水車が運んでくる水を貯めたタンクの水を使って屋外で頭や体を洗っていたこと。スリランカ人も含めた世界中からのボランティアが隣のゴザで寝ていること。村人の家によくお茶を飲みに行っていたこと、挙げればきりがありません。
  自分の経験を振り返ってみて長期ボランティアの魅力はというと、その国の良いところも、あまり良くないと思うところも知ることができることや、住んでいた村が自分のふるさとの様になったこと、共に苦労した世界中のボランティアがきょうだいのような存在になったこと、SCIの平和の考え方を知ることができたことだと思います。

  スリランカは20年に渡って紛争をしている国で、そんな中SCIスリランカ支部は平和運動を続けています。私の住んでいた村もSCIの復興支援ワークキャンプが行われる前はシンハラ人を見たことのないタミル人の村でしたが、このワークキャンプにシンハラ人のSCIメンバーも参加したことで、村人の中には「シンハラ人のイメージが変わった」「シンハラ人の友人ができた」という人もいました。この変化を10ヶ月のボランティア生活を通して見た私はSCIの言う「ワークキャンプという手段を通して一人ひとりが平和を築いていく人になる」という考え方があながち嘘ではないということを知りました。遠回りに見えても、市民の意識と行動で平和を築いていく必要があるというSCIの理念の必要性が分かった気がします。
  スリランカからの帰国後はというと、私は大学院への進学しました。スリランカに行く前は考えもしなかった選択肢でした。そしてSCIという運動にも引き続き関わっていこうと思います。

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